この夏、最も印象的だった小説
2020年 10月 02日
真夏の暑さと、コロナ自粛で家にいていちいち感想を記録するのもめんどうなほどで暇さえあれば本を開いていた。一番手っ取り早くわくわく感を味わうことができためた。
その中で、今でも印象に強く残っている本がある。
サニエル・ホーソンの名著「緋文字」がそれだ。
舞台は17世紀ニューイングランド、ボストンのあたりのピューリタン社会
主人公ヘスター・プリンは行方不明とはいえ夫のいる身で姦通の罪をおかし女の子を生む。
その罰として緋色の「A」の文字を胸につけ衆人の前に見世物として立つ。さらにその「A」は一生胸につけてなければならない。姦通を意味する「adultery」の頭文字である。
町で尊敬される立場にある相手の男は女性ひとりに罪をなすりつけて苦しむ。
一方、死んだと思っていた夫が戻って、その男と妻に対して、復讐をたくらむ。
森の中で「A」をつけた母親は刺繍などの手仕事をしながらつつましく暮らしてゆく。
一方娘は妖精のように美しく育ってゆく。
ヘスター・プリンは罪を背負いながらも男や夫より自由に生き抜いてゆくのだ。そしてヘスター・プリンが相手の男に夫の陰謀から逃れるためになにもかも捨てて他の土地へ行って3人で暮らすことを提案し実行しようとしたのだが、事態は思う方向には進まなかった。
ホーソーンはこの小説を通して神の赦しと法律主義や罪と罰の問題を模索しているという。
しかし、私は、この小説を通して、人が人につける「レッテル」の恐ろしさについて考えた。
人々はヘスター・プリンの胸に「A」の文字がついていることに満足をする。
「あの女は姦通女だ」と見下げて自分はあの女より正しく生きていると胸を張る。
これほどまではっきりと目に見える差別は人々の心を落ち着かせるのだ。
たとえ「A」というレッテルでなくても肌の色、国籍、貧富、学校のいじめの中に不条理なレッテルは山ほどあるのが人間社会というものだ。
いやだと思いながらも、もしや私自身も無意識に人にレッテルを貼っているのではないかと恐れる。
美しく刺繍された「A」の文字をヘスター・プリンは勲章のように胸から外さずに生きた。
差別を受ける人間は差別をする人間より誇り高かった。
その誇りが私の心の中に深く残って忘れられない小説となったのだ。
この小説映画になりましたよね
姦通罪で差別される女性をデミ.ムーアが、町で尊敬されでいる相手は牧師でゲイリーオールドマンが演じていて、とても良い作品に仕上がっています。
先に本を読んでしまうと印象が違うかもしれませんが、デミ、ムーアが当時の女性には珍しかったであろう、自由で意志の強い、情熱的でありながら男に一切頼らない精神的に自立した女性を演じています。
なんと言っても、人人からの非難を一心に受けても、こそこそ苦しむ相手の男性を最後まで守って一切口を開かないのですから。
古い慣習が横行するあの時代、、、などとは言ってはいられませんよね
人々の偏見も差別も、飽きることなく続けられるレッテル貼りもいまだに生き生きと存在しています
、、ということは、私たち人間は進化などしていないと言うことです。
時代はむしろ逆行しているかのようにさえ思えます。
一人一人が心しないといけないですね
そうそう彼女の誇り高さが映画を見た後に私の心を心地よく満たしていました。
本の感想でコメントをいただけるのはとてもうれしいです。
映画があることはしていましたが、「良い作品」ということをうかがって、ぜひ観てみようと思っています。
自立した女性が素敵なのは人のせいにしないことですね。そして自由で意志の強い情熱的な女性は、人に対して優しいと考えます。
あえて「A]の文字をはずさずに堂々と生きていく姿はほれぼれします。
はい、人間の心は進化していないなと、いろいろな本を読むほど感じることです。それが人間のサガかもしれません。それゆえに宗教があって、ある意味の軌道修正が必要な時もあるのでしょうが、またまたその宗教が悪の元になっているという場合もあり、小説の題材はつきそもありませんし、本の面白さにしがみつきたくなります。
その面白さにこもるのではなく考え続けるヒントとしていきたいなと思っています。
さわやかであり、誇り高い女・・・憧れます!
junkoさんからいただくコメントのどれもがお会いできなくてもディスカッションのような気持ちでお話ができてうきうきします。