「チベット旅行記」河口慧海著

著者川口慧海は黄檗宗の僧侶であった。

仏典の原典を求め、当時鎖国のチベットにシナ人として入り込む。

日本を出発したのが1897年(明治30年)32

インドでチベットの言葉を学び、入国するルートを探し

機会をうかがい1900年ネパール側から入国を果たし

1903年に神戸港に無事戻った。

「チベット旅行記」はその間6年にわたる旅行記である。



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チベットに入国しマナサワル湖、カイラス山を巡礼してラサに到着した。
行程は山あり、川あり、寒さありと困難を極めるが、その風景の美しさがじわじわと伝わってくる。

セラ寺の大学に入学し、チベット仏教の学習、手助けをしてくれたチベット人とのかかわり

人民の暮らしや経済、民族性、宗教行事などをこれまでチベットという国の名前とダライ・ラマというダライ・ラマという名前くらいしか知らずにいたので、どれも大変興味深く、初めての国を訪れた時のワクワク感を十二分に味わった。

こんな所を旅したら面白いだろうなという一方、風呂に入ると運が逃げるということで垢で真っ黒な人々や、ほぼ垂れ流しの町の様子を読めば、読んでいるだけでその匂いまでしてくるようで、今はそんなことはないとは思うが、とても行けそうもないとあきらめがつく。

もっとも標高が高い場所であるから、高山病を考えても実際はとても無理なのだが。

さらに、チベットは人がいい一面もありながら、嘘をつくことが平気で信用が出来ないし、真面目に働くという習性がないようであるという。

一妻多夫という習慣がなにゆえ出来上がったかはいろいろ説があるようだが、一人の奥さんに男兄弟23人となると、子供は誰の子供でも長男を「お父さん」と呼び、たとえ本当の自分の親でも「おじさん」となるという。また聖書の中の「隣の家の妻を愛すると罰になる」などということはないようだ。



慧海氏はやがて知っている知識で、薬を使い具合の悪い人の手当をしているうちに医者としてあがめられ、法王にまで会うことになる。


1年ちょっとたつと、日本人であることがばれそうになり(現地では、当時同盟国チベット人と偽って滞在していた)英国のスパイではないかと疑われる恐れが出てきて急遽出国する。

インドではチベット入国前に知己の合った人々や日本から来ていた知り合いに助けられたが、チベットで世話をしてくれた前大臣や薬やの家族が日本人とかかわったと疑獄事件がおきていたことを知った。

ネパールの王に頼んでチベットの法王に「スパイではなく、仏教の勉強と仏典の収集が目的であった、世話になった人たちは自分が日本人であることを知らないで世話をしてくれたので罰するのなら自分が罰を受ける」という親書を託した。

ちなみにネパール人は日本人に似ていて、勤勉で嘘もつかないと書かれている。



慧海氏はどんな困難があっても宗教を信じることでのりきった。

わずかな手許金だけで荷物も持たずに身ひとつでの旅である。

各地で乞食をし、経を読み、病気を治したりして人々からの寄進でやりとげた旅だった。

宗教の後押しはあったとしても、この旅は冒険旅行でもあった。



読み終えるまで16時間ほど要したが、平明でへつらいのない文章はとても読みやすく、7年間の苦難の旅を短い時間で一緒に旅できて面白くて面白くて、いろいろな感情が私の中を出たり入ったりした。

イザベラバードの朝鮮紀行以来の心躍る旅行記であった。



           *「チベット旅行記」は現在青空文庫で読むことができます


by shinn-lily | 2020-09-12 23:42 | | Trackback | Comments(0)

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