「時間リッチ」となったらば
2020年 07月 29日
趣味と言う言葉が好きではない。
「趣味」という言葉を辞書で調べると
1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。
「趣味は読書です」「趣味と実益を兼ねる」「多趣味」
「趣味はなんですか」と聞かれるより
「今、関心のあることはなんですか」と聞かれる方が会話になりそうな気がする。
どれもこれもやることなすこと中途半端で「これが趣味です」と言うのが気恥ずかしいのだ。
さて、自分はともかく、趣味でも関心でもいいのだけど、若い人に楽しいこと、夢中になることをたくさん経験してほしいと思っている。
時間もあり、そこそこの経済的余裕があるいわゆる「時間リッチ」になった多くの友人を見ると、結局、中学から大学にかけてやっていたことを再び初めている人が多く、若い時より豊かな気持ち楽しんでいる。
例えば、唄や、楽器演奏、バンドであり、あるいは山登り(登山とまではいかなくても)テニスであり、絵を描くなど・・・途中でやめてしまっているけれど、足掛かりのある人は再びすぐに飛び込めている。
実は時間できたから新しいことに挑戦しようとカルチャースクールや市民講座に出かけると、そこにはベテランが幅を利かせていて、一から教えてもらう初心者は肩身が狭いという。これをカルチャースクール格差というらしい。
若い時にさわっただけ、途中でやめてしまったことでも一度やったことを自分なりに、あるいは元の仲間とまた楽しんでいる様子をみると、なんでも経験が財産になるなとこの年齢になってこそ、わかることだ。
さてさて、人生を謳歌している友人を横目で見ながら、もう少し時間リッチになったらなにから始めようと今わくわくしながら考えている。
もっとも、そのうち、そのうちはないに等しい。まずは初めてみなければ・・・・。
1年前に書いた文章を読んでみると、世の中がガラッと変わってしまった。
自粛で、ある意味時間リッチにはなったのだけど、自粛と共に気持ちも萎縮している。
今だからこそできることをと考え、これからの楽しみを見つけたいというのが、今の心情かもしれない。
とりあえず・・・〇と〇かな?
なんだか知りたいです。
教えて!お願い!(笑)
でも時間リッチになったら、あれもしたい、これもしたいと思っている時も楽しいのだと思います。
私は自粛中に夫の持っているウクレレを借りて、少し練習していました、まだ簡単なコードが弾けるだけですが、手の小さな私でも出来そうで、少しずつと思っています。中国語もまだ中途半端だし。時間リッチよ、早くこい。
そうなんです、コロナが収まってどこかの空港に行ってピアノがあったら、難しい曲ではなくて1曲弾けるようになったら素敵だなって思うのです。人に聴いてもらうのではなく、自分の想いを遠い国に残せたら楽しいですよね。ウクレレもやりたいなと思った時期がありました。ぜひ頑張って、わたしのかつての憧れも実現してくださいね。
中国語とハングル・・・地道にやっていきたいですね。それなのに、それを使う国に行けないなんてなんということでしょう。いえ、いけない時に実力をつけるというのもかっこいいですね。が、なかなか人生はかっこよくはいかないものです。トホホ・・・あきらめないことが大切と自分に言い聞かせていますが・・・。