文楽に興奮 『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』
2017年 09月 06日
世の中には興味深いものがたくさんあるけれど、これまでの人生でどれだけそれに触れることが出来たかなと無駄なことを考えてみる。たぶん人によって異なるだろうが、それぞれ気持ちの持ちようでそれは無限大にあると言ってもよいのだろう。しかし無限大の中のこんなに楽しいことが初体験だったとは、今は「しまった!もっと早くに知っていればよかった」という気分である。
「文楽」に興味を持ったのはこの本を読んでから。
「文楽」もなかなかの人気でチケットが買えない様子はネットで見てとれた。
おりしも9月講演公演が・・・発売時間40分後にネットから辛うじて予約が出来た。日にちを選ばず、席を選ばず、やっと手にした1枚であった。正直なところ、三浦しをんさんが夢中になられているように楽しめるのだろうかと懸念していた。まずは見てみよう。
この日、月曜日にも関わらず、半蔵門の国立小劇場は「満員御礼」の札が出ていた。500あまりの席は誰ひとり欠席者?もなくびっしりと埋まっていた。
『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』
インド・中国と国を倒そうと悪さをしてきたきつねが日本にやって来たという前提で物語が始まる。悪いキツネはしっぽが割れているというが、なんとこのキツネは9尾もある。
キツネは玉藻に乗り移り、日本を乗っ取ろうとしている。最後は正体がばれて石の中に押し込められるという話し、今も那須の山に名跡として残っている「殺生石」はこの話しが元になっているという。
浄瑠璃を語る太夫の熱演と三味線の迫力。床本(浄瑠璃の台本)をかかげる所作と三味線を取り上げるタイミングの小気味良さ。
人形は3人で動かす。主遣い(おもづかい)が首(かしら)と右手、左遣いが左手、足遣いが脚を動かす。3人がひとりとなる技は私にとって不思議と言わざるを得ない。主遣いだけ顔を出して、あとの二人は黒子のいでたちである。三浦しをんさんの本からの事前知識によると、頭に着物を着せるのは主遣いさんの仕事であるという。舞台で人形を動かすだけではないのだ。
人形の動きの究極は「まるで人が演じているように見える」ことなのか。確かに舞台の人形が歌舞伎のように人が演じているように見えた瞬間が何度もあった。でもそれなら人が演じる歌舞伎で十分ではないか、文楽の魅力とは何か・・・ふと気が付いた。文楽の究極は浄瑠璃・三味線・太夫との三位一体により、人形に魂を入れることなのだ。そこまでたどり着いて納得した。
休憩も入れて約4時間半の観劇は体力もいる、やれやれ大変なことだと思っていたが、翌日になったら、もう一度観たくてたまらなくなってしまった。歌舞伎のように毎月公演がないので、次回を見逃せない。
今、玉藻の美しさと、
舞台のフィナーレ桐竹勘十郎さんが演じた七変化が目に浮かんでいる。
たった一度観ただけで、文楽と勘十郎さんの大ファンになってしまった。勘十郎さんが人形を慈しむように体中で操っられていた姿にぞっこんである。