この世は地獄か?


百寺巡礼 海外版朝鮮半島 五木寛之

思いもにもよらなかったことだが、この本を読みながら宗教について考えていた。

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私たち日本人の多くは自分が無宗教だと思っている。
困った時は「神様・仏様・キリスト様」と全ての神様を動員して祈ってしまう。
宗教がいろいろな形でこの日本列島に仲良く存在していることを考えれば、私たち日本の国民は「ノーベル平和賞」をいただいてよいほど心は柔軟である。
しかしよくよく考えれば、無宗教なのではなく多くの宗教が融合した宗教観を持って暮らしていることに気付く。
悪行を働けば地獄に落ちると思うこともあるだろうし、あの世に旅立った時は出来れば天国がいいなとも思っている。お彼岸には墓参りをする。お盆には仏様を家に迎える。
そして京都や奈良などの古都の寺で仏像の前で手を合わせると、心が静まるように感じる。
正月には神社でお賽銭を投げ、クリスマスにはケーキを食べても、結局仏教によりそって暮らしているではないか。

インドで生まれた仏教は中国、韓国を経て日本に伝来した。
ところが、韓国で目にする仏像はあきらかに日本のそれとは違って、人間らしい。

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表情が柔らかい。

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さらに源流にさかのぼれば、その顔つきはより人間くささをともない、そのキャラクターを身近に感じる。
ミャンマーで見たものは、日本の研ぎ澄まされた仏像とはまるきちちがう。

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そんな興味からこの本を手にした。
五木氏は小さい時韓国で育ち、敗戦とともに九州に引き上げてきた。
だから韓国は郷里でもある。
そんな想いも重ね、この中で五木氏の仏教感が語れるところが興味深い。

「私たちすべて、一定、地獄の獣人ではないだろうか。死や、病への不安。差別する自己と差別される痛み。怒りと嫉妬。どんなに経済的に恵まれ、どんなに健康に恵まれ、あるいは幸せに生きていたとしても、人にはいえない悩みを抱えていない人などいなのではなかろうか」

中略

「しかし、その地獄のなかで私たちはときとして思いがけない小さなよろこびや友情、見知らぬ人の善意や奇跡のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いて見えるときもある、人として生まれてよかった、と、こころから感謝するような瞬間さえある。みなとともに笑い転げるときもある。
その一瞬を、極楽、というのだ」・・・本文より


実は私が長年自分の信条としてきた考え方に似ているので驚いた。

「人生はつらいのがあらたりまえで、これが普通なのだ。
だから、嬉しいことや楽しいことがあったら、手をとりあい、大笑いしよう」

でも、いくらつらい時もこの世が地獄だとまでは考えなかった。
いっそう、地獄と思えば、心も軽くなるかもしれない。


アジアの国、仏教国と言われる国を訪ね、あるいは日本の寺で顔やその姿に違いがっても、お釈迦様や仏像の前に立ち、自然に頭をたれ、手を合わせるのは自分の声を聴き、自分と戦うためなのだろうか。
それこそが今の私の宗教観であるのかもしれないと、
この本を読みながらふと考えた。
そういえば、これまで自分の宗教観なんて考えずに暮らしてきたのだ。

今、街はイルミネーションで彩られ、クリスマスソングが流れている。


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by shinn-lily | 2016-12-18 23:18 | | Trackback

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