崔仁浩(チェイノ)著「他人の部屋」

私たち日本人は小学生の時から西洋の文学には慣れ親しんでいる。
現在放映されている「花子とアン」の村岡花子の翻訳の他、南洋一訳のルパン全集やマークトウェン他子供向けの本がたくさんあった。それらはたいていいわゆる西洋の話であった。
中国文学とだいそれたものではなくても、中学になれば漢文の授業があって、李伯の史に触れ、孔子の儒教精神のさわりくらい触れてきた。
ところが、その他のアジア諸国の文学には学生時代もそれ以後、ほとんど触れずに過ごしてきたことに気付く。
たまたま韓国に興味をもち、ここのところ何冊かの小説を読んでいる。
韓国文学に興味があったわけではなく、時代を文学から探りたいという不純な動機からである。
隣国の文学は西洋文学と違った味わいで接触することができるような気がする。

崔仁浩著「他人の部屋」は短編集であり、ここに収められているほとんどが1970年前後に書かれたものだ。

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1970年といえば、私は20歳であり著者は私より5年前に生まれているから25歳である。
当時日本は高度成長の終盤であり、学園紛争が終息しつつあった時代だ。
韓国はまだ軍事政権下にあり、民主化への胎動もまだ抑えられた頃である。
ハンセン病の子供たちの味方をするのはベトナム戦争で足を失くした教師である(未開人)。
「ぼうや」と呼ばれる子供が「母さんが死にそうなんだ」と言いながら父親を探していると酒場を歩き、おとなから酒を飲ませてもらう。酔って帰りつく先は孤児院である。父親を探しているという夢にすがっているのだ(酒飲み)
当時の底辺に生きる人の心にするどく焦点をあてている。
若かった頃書かれたこの作品の感性はみずみずしい。
面白かった。
韓国がまだ今の発展を得ていなかった頃の社会を想像しながら、韓国の人々の心を探った。

もうひとつ興味深いことがあった。
この本の翻訳者井手俊作氏は韓国語に興味を持ち勉強をし、新聞社を定年退職した後、この本を翻訳したのだという。
われわれシニア世代に勇気を与えてくれる。
金銭を得ることをメインに考えずに好きなこと、興味のあることが出来るのはある意味われわれ年代の特権でもある。
ただし、こつこつと続けていく根性をもたなければならない。

崔仁浩著「夢遊桃源図」も井手氏の翻訳で同時に出版されている。

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この作品は「三国史記」の短いエピソードを元に小説的な構想で書いたという。
このタイトルは画家安堅(アンギョン)が描いた名画の題で「そのみち私たちの人生というものは夢の中の桃の花咲く丘で遊ぶ一幕の遊戯にすぎないということを書いたと後書き(2012年7月)の中で作者はいう。
いずれにせよ人生は、アリラン、アリラン、と流れてゆく・・・と。
翌年の9月、崔仁浩は病気のため亡くなっている。享年67歳。

動機はいろいろあっても、結局読み進めていると人間の心の内に国境がないことに気付く。
韓国の小説は引き続き読み続けている。


文章中(  )囲みは短編の題名
崔仁浩著 「他人の部屋」 コールサック社発行韓国純文学シリーズ1
崔仁浩著 「夢遊桃源図」 コールサック社発行韓国純文学シリーズ2
いずれも2012年翻訳出版
by shinn-lily | 2014-09-11 21:54 | 韓国を考える | Trackback

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