アレン・アイルランド著「THE NEW KOREA」から日韓併合を探る

李王朝末期、清やロシアが韓国を我が物にしようと企んで忍び寄った時
日本はいずれそれらの国々は日本にも忍びよってくることは必然として、それをくい止めるために日清戦争を開戦したという。
日進戦争に勝利した結果、日本は1910年韓国を併合した。
李王朝末期の様子は英国人旅行家イザベラバードの「朝鮮紀行」によく描かれていることは、前にも書いたとおりだ。
では併合後、日本がどのような政策をもって韓国を統治したか
その様子は同じく英国人学者アレン・アイルランドによって書かれた「THE NEW KOREA」に丁寧に記載されている。

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副題、「朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)」がその内容を総括しているように思える。
昭和元年に出版されたこの本は翻訳されて昨年日本で出版された。
アイルランド氏は冷静に、どちらの側に立つこともなく当時の日本の政策について記述してゆく。
今、この本が出版されたことの意味も考える。
日本人も特に韓国人も著者と同じ姿勢にたって、冷静に日韓関係を見ることは無駄なことではない。

興味深いポイントは
日本の韓国併合が他の諸国がアジアを植民地化してゆくことと明らかな相違があるという。
「ある文明化された民族がもう1つの文明化された民族を統治したという稀な光景を見せてくれる」
韓国は当時李王朝の政策のまずさから衰退していたとはいえ、れっきとした文化を持っている。
古代より、韓国は日本文化に大きな貢献をしてきたことは事実である。
日本が台湾を統治したのとは全く違うのだ。
台湾の統治は新しいものを作りあげることから始まったが、韓国はこれまでの悪政をただすことから始め、さらに文化、技術を導入にして国民全体の生活水準をあげようとしたのだ。
日本はそのために莫大な費用と人材を投入し、そこからの利益を搾取するというよりは、日本の一部として本土と同じような水準に引き上げようとした様子が資料からしっかりと読み取れる。

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          本書636ページより1892年の漢城(ソウル)南大門と日本統治後の京城(ソウル)南大門

特に第三代朝鮮総督斉藤実について、著者の評価は高い。
公明正大で寛容の気持ちを持ち朝鮮を統治し、教育、地方自治に惜しみなく力を注ぎ、日本人と朝鮮人の友好を協力の精神をつくりあげようと尽力したとされる。
後に内閣総理大臣となり、その後二二六事件で暗殺された斉藤実は、空の上から今の日韓関係をどのように見ているのだろう。

斉藤実だけではなく多くの日本人の努力があった。
インフラが整備され、教育制度、警察・裁判制度など、次々と法治国家としての体制を整えていった。
この時代に両班に暴利をむさぼられていた朝鮮の人々の暮らしは、やっと豊かさにむかって、歩き始めたのである。

アイルランドの著書からみれば、日本は素晴らしい植民地政策をなしとげたとことがわかる。ある意味、日本政府の方針に感銘した。
しかし読み終えた後、そこに朝鮮人の心は読みとれなかった。
朝鮮文化の排除と日本文化のおしつけ
つまり日本語による教育の強化など、国民がその時、何を感じ、どのような気持ちで暮らしていたのかは、この本から読み取ることができないのだ。
この本はあくまでも、日本の政策の記録である。

改革への尽力は事実としてとらえるのがよいと思う。
しかし当然国益のための政策であるから、よかれと思ってやったことが、韓国の人々にとっては違和感、反感も多数あったはずだ。
その反感は現在の韓国政府の意図したとおり、反日につながっているのだろう。

物事はいろいろな方向からみるのがよい。
その時韓国の人々がどんな思いで生きていたか、またべつの角度から探ってみようと思っている。

発行:桜の花出版 / 販売:星雲社
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by shinn-lily | 2014-08-21 10:27 | 韓国を考える | Trackback

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