震災を忘れない 仙台、宮城の旅(6) 絆をつなげる
2013年 03月 26日
戦争の頃を知っているから、あるもので食べることはなんとか出来ました。
塩竃から仙台へ戻る仙石線の車中でのこと
なんとはなしに、隣に座った女性と話がはじまりました。
地方にしては比較的明るいお召し物でスタイルの良いお洒落な女性です。
仙台市内に住んでいらして、「今も家の床にビー球を置くと転がっていくけれど、住むのには困らないのでそのままなのです」とおっしゃいます。
浅草の生まれ、疎開でこちらに来て、そのまま住み着いたそうで、そうするとお年は???
「手動式の石油ストーブには、床暖房用の灯油を入れて、これだけが頼りでしたよ。煮炊きも出来たし」と。
その日は塩竃市内の地震で元の家に住めなくなった親戚が家を建て直したのでお祝いに行った帰りだそうです。
少しずつだけど、復興していくのですね。
今回の旅、どこの誰とお話しても、必ず震災の話になりました。
翌日ホテルのスタッフおすすめのお店
牛タンのおやまでお昼をたべました。
丹精な顔つきのご主人は、やや頑固そうな感じでもくもくとたんを焼いています。
わたしはほおずえをつきながら、匂いをかいでいました。
牛タンの幹の部分は厚く切ってあっても、おどろくほど柔らかいのです。
麦ご飯にオックステールのスープ、これで定食となるようです。
頑固そうだと思ったご主人が柔和な雰囲気で話し掛けてきました。
たいていの場合「どこから来たのですか」となります。
そしてやはり地震のはなし、
多賀城市の知り合いの話しになり
「近くの建物から自分の車が流れるのを見てね
それからその場所も危なくなって、もっと高いところに移動して逃げてなんとか助かった」と。
ホテルに戻ってテレビをつけると、今聞いたばかりのそのままの映像が流されていて
しかもテロップには多賀城市と書いてありました。
東日本大震災、つらい話が五万とあるのです。
そういえば
「岩隈さん(元楽天イーグルス野球選手かな?)の奥さんがいい方でね、自分のお腹が大きいのに、何度も被害がないか見に来てくれてね」と牛タンおやまのご主人が嬉しそうに語っていました。
来るお客さん、来るお客さんにきっと繰り返しこの話しているのでしょうね(笑)
いい話は、何度話してもよいのです。
東日本大震災、つらい話と同じくらい、いい話も五万とあるに違いありません。
ここは東北ですから。
仙台、宮城の旅は今回はここまで。
「観光でも、来てくれたら嬉しい」
お話した方々の静かではあるのですがこんな歓迎の息遣いを感じました。
旅の続きをつくりたいと願っています。
2月の仙台・宮城の旅におつきあいいただきありがとうございました。
3月もあとわずか、あの塩竃神社の桜もつぼみが膨らんでいることでしょう。