ときおり、玉手箱を開ける
2012年 04月 15日
大学の頃、春3月
友人と三人で奈良、明日香をめぐり、二上山が見える当麻寺に泊まり、その後広島の宮島まで旅をしたことがある。
記憶があいまいである。
たぶん海の中にたつ赤い鳥居や回廊を見学してお店をぶらぶら歩いたのだろう。そのうち、広島まで来たのだから、生牡蠣が食べたいと三人の意見が一致した。しかしどこに行けば食べられるかわからない。
ガイドブックも交通公社のブルーブックの時代、もちろんネットもないし
ananの旅特集で旅に誘われる時代であったから情報は少ない。
ふと見ると、あちらからやって来る男性、…洋行帰り、いや海外暮らしをなさったに違いない垢抜けたモスグリーンのジャケットとパンツのカジュアル着、穏やかそうな雰囲気の60代半ばか、映画の中から突然やってきたようにその男性は山道を降りていらした。
あの人に聞いてみましょうよ…・。
「あの~、ちょっと教えていただきたいのですが、このあたりで生牡蠣の食べられるお店をご存知ではないですか?」
若いというのは程度の差あれ、恥ずかしいことを平気でできる。
「ほう、生牡蠣ねぇ、生が食べたいの?このあたりではそうねぇ、あまりそういうお店はないけれど」
「あ、そうですか、では広島市内で食べられるところはありますか」
「うーん、そんなに食べたいの」
「はい」と元気よく3人。しばらく間があって
「じゃあ、ごちそうしようか、ついていらっしゃい。牡蠣だけですよ、すぐそこだから」
3人で顔を見合わせながらも、のこのこ着いて行った。
着いたのは旅館の離れ、縁側のついたおおきな和室の二間続き部屋、長逗留とみえる。
仲居さんを呼んで、わたしたちに生牡蠣をもってくるように頼んだ。
仲居さんの態度から、この方が旅館にとって大切なお客様であることはわかったが、
私たちまですっかり上お客様、それまでの学生節約旅行とは別世界の待遇である。
小鉢に盛られた生牡蠣、3人そろってぺろり
「美味しい!本当に美味しいです。有難うございました。」
きっとあまりに嬉しそうな顔をして食べていたのだろう
もっと食べたいか聞かれた。
「いえ~、もう~」
「食べたいのならはっきりいいなさい」
優しいけれど、きぱっとした物言いである。
「はい、食べたいです」
仲居さんが呼んで、生牡蠣をおかわりしてくれるよう頼んだくれたが、なにか耳打ちされている。
生牡蠣はあまりたくさん食べないほうが良いということらしく、では別のものをと
「穴子」の小鉢が運ばれた。
「なんでご馳走しようという気持ちになったかわかりますか」
「いえ・・」わたしたち花も恥らう乙女、美しい?確かに友人たちは美人
「わたしにものを聞く言葉がきれいで丁寧だったからですよ」
なにげなく使っている言葉の大切さを知った。
2時間近くお邪魔をしただろうか、夕暮れが迫ってきた。
帰りの船の時間を調べなさいとおっしゃる。
ひとりがパンフレットを出して調べた。
少し離れた友人も時間を見るふりをした。
「あなた、そこから字が見えるの。見えないでしょ。それだったらそういう無意味なふりをしてはだめですよ」
また厳しい一言が飛ぶ。その言葉はその後の人生に身に染みて思い出される。
お名前をお聞きしたいとお願いした。
それはなしにしましょう。
「大阪のタブチ(仮名)とだけ言っておきましょうか」
旅館の車で船着場まで送っていただいた。
車に乗り込むときは仲居さんたちの総出のお見送り、
最近、友人から、仲居さんが元インド大使であった方だと教えてくれたと聞いた。
このことはすっかり記憶から脱落していたが、
このひと時は、その後の人生に貴重な教えをいただいた。
どうして、旅館の名前を覚えておいてお礼状を出さなかったのか、今悔やまれて仕方がない。
若さゆえと許していただけるだろうか。
それにしても
わたし達が滞在したわずかな時間の後、タブチさんはお一人でどんな思いですごされたか、
当時のタブチさんの年齢に近くなり、ふとそんなことを考えながら、また思い出を玉手箱に大切にしまう。
この思い出を壊さないよう再びこの地を訪ねるのはやめようと思っている。
こちらの方のこの記事です。
ふふ、穴子どんぶり!!
心に残る出会いのエピソードこれはexciteブログの今週のトラックバックテーマへのトラックバックです。 いまから三十年以上も前の北海道の大学を受験した帰りことだった。急ぐ旅でもないので列車で横浜に戻ることにした。当時は東北新幹線もなく青函トンネルも出来ていない、特急列車と青函連絡船を乗り継いで行く旅だ。 青函連絡船の客室の半分ぐらいは先の特急列車の乗客で席が埋まっていただろうか。その後、函館からの乗客がドカドカと乗り込んできて、小包みを抱えた婦人が「ここは空いていますか」と声を掛けてき...... more
いやあ、知性教養って、だいじですねえ。
おきゃんな3人の女の子から、
元気といっしょに、あふれ、こぼれていたのだろうと思いました。
週初めの朝から、素敵なエッセイを読ませていただき、
ありがとうございます。
さー! 今週も(こそ?)、がんばるぞー!
lilyさんがどんな女子学生であったか、、解りますね~ニコニコ
お友達のみなさんも!~♪
この紳士の方も........ なさった事や仰った事がスマートで
特に↑の言葉だけでなく
ストレートにハッキリ気持ちは伝えなさい の教えが
あの時代には貴重な教えでもありましたね。
みなさんがステキで、、
私も素敵なエッセイを読ませていただいた気持ちです。
そして、、丁寧な言葉・・居住まいを正しましたです~。。
紳士タブチ氏のお眼鏡にかなって、ごちそうしてくださり、たしなめてくださったり、、、
昔はこういった社会貢献をしてくださる本当の紳士がいましたね。
そういったことを経験して若者が育っていく社会でした。
↑の方たちが書いていますように,知性と教養、若い女の子も
大人の紳士も大切なのですね。
読みながら私はいつかお話しした京都の紳士のご好意を思い出しました・・・
こちらまで、うら若きレディにもどった(?)ような、ほんわかとした気持ちにさせていただきました。
きっと、lilyさまたちは、キラキラと輝いていらしたのだと思います。
きちんとしたご家庭に育っていらっしゃる雰囲気も、その言葉づかいに現れていらしたのだと思います。
タブチさまにとっても、いい想い出になられているのではないでしょうか?
そろそろ、私も女性版タブチさまにならなくてはいけない、年齢なのかもしれないわ、と、ふと思いました。
うわ―いいお話し
素敵な経験ですね
まさに玉手箱だわ...
こう言うのって、時々開いては味わう
一生の宝物だよね
大飯原発再稼働にキリキリしてるわたしの胸に優しく沁みました
あーあー日本人がみんなタブチさんみたいだったらいいのにな―
素敵なお話し、ありがとうございました。
そう、昔はまわりの大人が子供を嗜めたり褒めたりして社会全体で子供を育ててましたよね(lilyさんのような素敵なお話は稀でしょうが)。
人が人に関心をきちんと持っていた時代。きっと階段を下りていらしたその紳士は3人の育ちの良い女子学生を見ていたのでしょう。身だしなみや言葉遣い、今は「男言葉」と言われたしゃべり方を女性が使うのも聞くことが多く時々ドキッとしてしまいますが、「らしさ」が欠ける気がする、勿体無いと思う、とても古い人間です(苦笑)人生のずっと先を歩いている人にはほんの少し話しただけで分かってしまう。恥ずかしくないような振る舞いをしないと、と改めて思いました。
読ませてもらって、なんだかもったいないような気になりました。
その後の人生にも身に染みて思い出されるような旅、
本当に若い時の旅はするものですね。
>思い出を壊さないように、再びこの地を訪れないように、
それもリリーさんらしくて素敵♪
でも、私もゆっくり歩いたのは久しぶりだったのですが、
宮島の参道に通じる商店街も、あの頃とはまた違った雰囲気になってて
思い出をたどって歩くのも、いいんじゃないかとも思います^^
確かに思い出の玉手箱ですね。
その玉手箱の中には、ただ過ぎた昔を懐かしがる思い出だけが詰まっているのではなく、人生のお手本もあり、まさに珠玉の玉手箱ですね。
タブチさんがおっしゃった言葉
>わたしにものを聞く言葉がきれいで丁寧だったからですよ
>...見えないでしょ。それだったらそういう無意味なふりをしてはだめですよ
勿論、若いshinn-lilyさん達が、このタブチさんが感心されるほど躾のいいお嬢様達だったからでしょうが、こうやって若い時に大人が教えてくださる事ってとても大事だって思います。
私にもそんな玉手箱をくださった方がいた事を、思い出しました。
素敵な出会いは、辛い時の励ましにもなりました。
でも、自分自身の生き方の中で若い人達に渡してあげられる物は一体何だろうか?って深く考えさせられました。
澄んだ瞳と美しい言葉からの素敵な出来事に私まで気持ちキラキラです。
思い出の玉手箱・・lilyさんの玉手箱にはまだまだ
素敵な良い思い出があるのではないですか?
旅先での思い出♪私も目をつぶったら乙女だったころの
楽しい出来事よみがえってきました。
牡蠣には出会いませんでしたがアイスの思い出あったかなあ(笑)
時折そっと開けたくなる玉手箱。
あーー、開けたくない玉手箱がいっぱいだったりして!?ははは。
時が経ってわかることもありますね。
歳を取ること、人生、いいものですね。
タブチさん、素敵な方だわ~
>わたしにものを聞く言葉がきれいで丁寧だったからですよ
>それだったらそういう無意味なふりをしてはだめですよ
どちらも凛として生きていく上で不可欠なこと♪
lilyさんたち、若き日に珠玉の体験をされましたね。
まぁ、誰でも経験できるようなことではなく、見込みのある乙女だと思われたからでしょうけど・・
玉手箱を開けてくれて、ありがとうございました。
私も上記の言葉をあらためて心したいと思いました~♪
私もどんなお話か密かに楽しみにしていました、
素敵な思い出の玉手箱、一緒にみせていただいてありがとう^^
利発でお茶目でチャーミングな三人のお嬢さん。
ほんとうに素敵な出逢いですね。リリーさんたちの素直な言葉、タブチさんの素敵な大人の言葉。惹き合うものがあったのでしょう。
きっとタブチさんの玉手箱にもキラリと残ったのではないでしょうか。
私も若い頃は旅先での出逢いがたくさんありました。
北海道の昆布の君のお話は以前書いたことがあるのですが、
もしもタブチさんにその頃お逢いしていたならば
お嬢さん、もうちょっと思慮深く慎重にならなければなりませんよって言われそうです。
ほんとうに怖いもの知らずでした。
でもやはり私にも玉手箱だと思います、旅はいいですね。
そうですよね、旅の印象は出会った人から受けることも多いですね。
それが海外であれば、ちょっと受けた親切で、その国が好きになってしまいます。
その反対もありなのですが、残念なことに、ガイドブックに書いてあることを気にしていると女旅は大変臆病になってしまいます。気持ちが真っ白で旅が出来た頃、やはり若い頃の旅ってお金はなかったけれど、貴重だったと思い返しています。
今考えると恥ずかしいようなこともたくさんありました。
人様に迷惑をかけなければ、多少のことは許してもらいましょう。
もう、昔のことですから。
青函連絡船の思い出、どんな記事だったのでしょう。
青函連絡船は運行していなくても、あの船を思い出すだけでも、私もじーんとしてしまいます。
私たち高校の修学旅行、汽車で青森まで、そして船で毛布にくるまって寝て
今だったら飛行機ですね。
ご迷惑でなければ、いつごろの記事か教えてください。
知性、教養ですねぇ~、どうでしょうね。
今になれば、もう少しまじめに勉強しておけば今頃は・・・ええ、まじめにやっていたのですが、まじめにエスケープもしました。それが、学生の本分という甘い気持ちで・・・もう全く・・・。でも若い頃に旅もたくさんして、それはよかったです。今だったらひいてしまうような安い宿泊場所を探して、ひりひりしながらお金を使い
でも楽しかった。
気持ちは今もかわらないのですが(笑)
言葉は丁寧だったけれど、「生ガキが・・・」などと聞く非常識
今だったら絶対できません。
若かったから、怖いもの知らず。
あの時代、女性の就職も難しかった、まだ女らしくが勝っていた時代
きちんとものを言うことを教えてくれました。
そのおかげで、人生で少々ストレートに物を言いすぎた感あり・・・損もしたけれどそれでよかったと思います。
今度は若い人に、「はっきりと言いなさい」とつい言ってしまいます。
そういう時はコーヒーの一杯をご馳走しなければいけませんね。
上からものを言うだけではいけません。
わたし、この記事を書きながら、お聞きした京都の紳士のお話を思い浮かべました。
その時のwhiteさんのお心使い、それがわたしたちにはできなかったなぁと。
ぜひ、そのお話を皆様にお聞かせください。
たしかに社会貢献ですね。
私たち3人に温かい想いでと鋭い教えでした。
年齢を計算すると、今頃天国だとは思いますが、天国にお礼の気持ちをお届けしたいです。
そうか、わたしたちも女性版タブチさん・・・そうですね、していただいたご厚情を次の世代へお渡しすぐことによってタブチさんにお礼ができるかもしれませんね。
で、もさりげなく、厳しく、こんなにかっこよくは出来そうもありません。
Uransuzuさんはその器がありますよ。ぜひ、香川のタブチさんになってくださいね。
私はせいぜい、身のまわりの人を大切にしていきましょう。
なんだかjyunkoさんにばかり大変なことをおしつけているようで、申し訳なく思っています。大飯原の件もそうなのですが、原発って絶対あってはならないと思うのですが
自分の仕事の場合、反対する時には必ず代替案を提案しなければ先にすすめないのです。
今当然ながら有効な原発代替案を提案できない自分に無力を感じるばかりです。
それでね、こうした思い出にすがりつきたくなることがあります。
原点に戻って、考えなおす意味で、貴重な思い出です。
なんだかjyunkoさんにばかり大変なことをおしつけているようで、申し訳なく思っています。大飯原の件もそうなのですが、原発って絶対あってはならないと思うのですが
自分の仕事の場合、反対する時には必ず代替案を提案しなければ先にすすめないのです。
今当然ながら有効な原発代替案を提案できない自分に無力を感じるばかりです。
それでね、こうした思い出にすがりつきたくなることがあります。
原点に戻って、考えなおす意味で、貴重な思い出です。
はい、生ガキは覚えていたのですが、おかわりしたのはアナゴだったこと、すっかり忘れていたのです。、そこから思い出がだんだん蘇ってきました。頭の中深くに納まっていたものまで、いろいろと思い出されました。
あなご、名物だったのですね。
実は、おかわりがあなごでがっかりしたのです。
もう少しカキが食べたかったし、お腹は壊さないのにと当時心の中で考えたことまで思い出されました。さすが、ここまでは言えませんでしたが、またそのアナゴも美味しかったのです。
先日テレビで見ていたら、ずいぶん変わっているようで、でもタブチさんが山から降りていらした坂道はいまはどうなっているのでしょう。
今でも目に浮かぶあの風景が行ってみて変わっていたら、思い出が消えてしまいそうなのです。臆病でしょう(笑)
若い人にものを言うということ、難しいと思うのです。
この年代になると、一言一言気を使って注意をします。褒めながら様子を見て注意をひとつという調子です。
タブチさんはとても優しい物腰でしかもダンディーで、当時の私からみれば憧れの男性像
その方がおっしゃる言葉、身にしみました。
ほんの1分違ってもこの方にはお会いしないまま宮島の旅は終わったでしょうが
運命は面白いです。こんなふうに素敵な時間があったのは、運としか思えません。
運を大切に、次の世代・・・そうですね、何が出来るか、今そういう年になったわけです。
kanafrさんの筋の通ったお話、若い方にも通じるはず
私たちだけではもったいないお話ばかり
ぜひ若者に伝えてくださいね。
ははは、こすもすさん言い過ぎですよ
>清純でさわやかな乙女たちの澄んだ瞳
もうそれって、子供の頃読んだりぼんやなかよしの漫画の主人公
瞳に☆が三つくらいつきそうですね。
はい、こすもすさんも目をつぶって乙女に変身
アイスクリームの思い出 聞かせてください。
やっぱり食べ物がからむのですね、良い思い出には(笑)
あ、失礼、こすもすさんは変身しなくても、永遠の乙女であることは
皆様、承認済ですから。
そうそう、人生には実は開けたくない思い出の方が多くてね
ほら、舌切り雀の強欲おばあさんのつづらみたいにね、見るのも思い出すのもつらい思い出もたくさん
そういう思い出があるから、良い思い出がいっそう大事になるというわけでね。
でも考えればそのつらい思い出も、みんな愛おしい自分の人生なのですよね。だからちょっと恥ずかしくても全部背負ってそれが自分なのでしょう。
どう、この年齢になるとけっこう覚悟ができているでしょう(自画自賛)
歳をとることはそう悪いことではないです。
けれども、若いことも素敵です。
結局一番いい時は「今」なんじゃないかなぁ~。
>見込みある乙女
であったかどうか、
その答えはもう出てるわけですが
ま、その後人生は右往左往いたしまして
たいして見込まれたほど良い結果は出ておりませんが(笑)
まあそれなりに一生懸命生きてきました。
無意味なふり、いい子ぶる、心配するふり
そういうこと、気を付けました。
嫌いといっていいと思います。
「ふり」はいい子にみられたいからつい出てしまう、でも自分の気持ちにまっすぐむかえばふりは恥ずかしく思う。
今回この記事を書きながら、タブチさんが指摘してくださったことの深さを改めて感じました。
はい、宮島の海、良かったですね。
偶然の出会いでこれほど貴重な時間になるなんて、
神様、なかなかやってくれます。
タブチさんはきっとこれからこの学生がどんな人生をたどるか
と少しだけ考えられたのではと、この年齢になってそう想像するのですが。
タブチさんは大方の人生を過ごされ、それもまだまだ未開発のカースト制度の厳しい中で暮らされたわけですから、今のわたしより何倍も重い人生を重ねていらしたのでしょう。
いえいえ、sarakoさんは十分思慮深いですよ。
いえ、思慮深いというより、人を包み込むような誠実さを持った方です。
これからも少々冒険なさってみたら、
人とのつながり、人生の醍醐味だと思います。
『どんぶり』から、玉手箱が出てくるとは思いませんでしたが、何にせよ。良い思い出を持たれておられて何よりです。
ありがとうございました。今度は大丈夫でした。
出会いは不思議なもので、船が1本違えばこのご婦人に会うことはなかった。
気持ちが疲弊している青年にやはり神様が使わしてくれたのでしょうか。
そこからいただく心、温かい心
その後の人生に影響していく出来事
人を信頼できる心をつくってくれる出会い
青函連絡船がなくなっても、
間違いなく心の中には残っていますね。
やっと、妖怪世界に近づけたでしょう?
が、発想の素がアナゴ丼、やっぱり食べ物なのよね。思い出の素はね。
ihokoちゃんの玉手箱ははちきれそうにたくさんの宝物が詰まっていますね。ものすごい財産持ち、つまり大財閥であり、mayumiさんと同じくらいゴージャスihokoちゃんなのであります。
きつい言葉も有難く感じられる
わたしたち3人はその後みなこのひとときを本当に大切な思い出にしています。
それはこの方のお人柄でした。オーラみたいなものでしょうか。
こういう人になりたいものだと思いますが
そういう意味では、いまだにひよこです。
穴子丼のおかげで、思い出したこの時間を改めて考え直し
今の年齢だからこそ、感じ取れることがあることが少しわかりました。
人それおぞれ、玉手箱を持っていますよね。
鍵コメさまの玉手箱、どんな思い出が詰まっているのでしょう?
そのことをコメントくださったことを嬉しく感じております。
>なんだか、お伝えしたいと思いました。
そんな感じで、わたしにメッセージを送ってくださったことに感謝しています。
そちらにうかがわせてくださいね。
(エキサイトからここ遠ざかっておりましたので、おそくなってごめんなさい)
ご心配有難うございます。
上の記事にあげたのですが、なんだかすっかり疲れ切ってしまっていました。母はなんとか元気なのですが。
ここのところ仕事も忙しく、やっぱり無理がきかないのだなと実感。
遠いのに近い、こんな風にコメントをいただくと
つながりってなんだろうと思もいます。
嬉しかったです。
さあ、また走りますよ!
本当にありがとう。