大切な時間を大切な友と過ごす

これまでどれだけ素敵なお店に連れて行ってくださったことか、
今回も昨年混んでいて入れなかったお店、日本橋玉ゐ本店にお連れいただきました。
待ち合わせの時間より早めに来てリサーチ、席を確保しておいてくださいました。
さすがwhiteさん
この方
お心使いにいつも甘えてばかりです。

連れはこの方 こすもすさん
いつも柔らかく包み込んでくださるそのお人柄にも甘えているのです。
今日もその笑顔を見ているだけで、わたしまで良い人になりそうです。
人生の中でこの方々とお知り合いになれたのはブログをやっていたおかげ、大きな財産です。



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限られた時間を大切な人と過ごす、これこそ私たちの年齢にとってなによりも貴重な時間です。


ところで、このお店のたたずまいは、今はもうない、父の日本橋の実家の酒屋の店舗を思い起こさせます。
立ち寄るたびに、父の親代わりになって教育してくれた伯父が、車の窓からジュースやお菓子を持たせてくれました。
たくさんの人々に見守られながら、今かつてのその伯父の年齢に近づきました。
香ばしい穴子をいただきながら、古くある町に自分自身の思いをはせました。


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気持ちのあったと友とのおしゃべりって、どうしてこんなにエネルギーになるのでしょう。
杖をつきながらもも、私たちのおしゃべりは続きそう。
お忙しいとは思いますが、今度はuransuzuさんyumiyaneさんもね♬




# by shinn-lily | 2017-06-27 15:19 | 大切な場所 | Trackback

2017年 ソウル ドラマのように ⑪ 静かにしてね

オンニーのお友達のヘミさんの車はこんな細道をグイグイ進みます。
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「ヘミさんは運転が上手ね」
ハラハラしながらそう言うと
「名ドライバーでしょ」と笑います。

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「え、こんなところに駐車しちゃうの?」
ヘミさんは肝もすわっています。
おかげ様で韓屋のお屋敷街を散歩することができました。
門ばかりで中は見えませんが、ドラマではよくでてきますので、だいたい想像がつきます。
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きれいに手が入った塀と門を見て歩いていると門にこんな張り紙がしてあります。

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こちらにも

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そういえば、さきほどもにぎやかに写真をとりあっていた一団がいました。
この地区は景福宮の近くで李王朝時代から両班(ヤンバン→上流階級)の住宅地でした。
今も高級住宅地なのですが、こんなに観光客が多いと住んでいてもおちつかないでしょうね。

私たちは静かに路地を抜け
景福宮や
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家々を眺めました。

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いつもソウルの背景となっている北岳山がすぐそこに見えました。

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# by shinn-lily | 2017-06-22 23:00 | ソウル | Trackback

映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見て、ふと心が...

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まったく無知とはこういうことで、この映画の舞台はアメリカのマンチェスターであり、その近くに海があると思い込んで映画を見ていた。

ところがマンチェスターを地図で調べると、内陸であり湖はあるが海はない。

この映画の重要なテーマは

「病んだ心を『自然』にいやされる」

「病んだ人生を『人』がいやしていく」

となれば、海は大きな役目があるのに。

さて納得できずにもう一度調べてみると、ボストンを海沿いに北へ進むと「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という土地があり、それが地名であることを知った。

「海岸近くのマンチェスター」という地名が、かつてイギリスから移住してきた人々の気持ちを表現している。

そして幸いなことに娘と旅したニューイングランドの春の思い出がよみがえり、その風景に厚みがでた。

主演のケイシー・アフレックはアカデミー賞をはじめとして多くの主演男優賞を獲得している。

その獲得に納得してゆく。

一瞬の荒れた心で多くの取り返しのつかない物を失い、その罪を背負いボストンの片隅で生きている。

しかしその生活は兄の死によって大きく変わってゆく。

残されたひとり息子の後見人になることが、兄の遺言状に残されていた。

映画の結果は予想外であった。

しかし、この映画に実は結果は必要ないのかもしれない。

少しずつ、人間としてまわりの人々の心を受取り始めていく過程こそ、この映画の重みである。

そこには、猛々しくも美しい海が広がっている。

マンチェスター・バイ・ザ・シー

心に刻み込まれる映画であった。

*画像は公式サイトからお借りしました。


# by shinn-lily | 2017-06-19 22:53 | 映画 | Trackback

親愛なるミスタ崔 隣の国の友への手紙 佐野洋子


絵本作家佐野洋子さんと韓国の哲学者崔禎鎬(チョンホンジ)氏のお二人がまだ若い時、まだ有名ではない時に留学先ドイツで知り合あいました。

その後それぞれの道で名をなし、それぞれの国で生きてきて

その間40年にわたってかわされた書簡集が出版社クオンから出版されました。

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あっという間に読んでしまって、たくさんの佐野洋子さんへたくさんの嫉妬心をかかえることになりました。

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まずその感性!

「親愛なるミスタ崔

韓国と中国と日本の巨大な頭脳が集まって地球の行く末を考え立派なえらいシンポジウムがおこなわれている歴史的な日を平凡なおばさんはキャベツをいためて食べながら、ああ民主主義とは大変なことだなあ、昔のように士農工商と身分がはっきり差別されていたら、私は百姓の娘、わが心の苦しみなどで気狂いなどにならずにすんだものを、牛や馬の一生と何も変わらぬ過酷な一生をそんなもんだと思って墓の中まで行ったものを。抜粋」1997年

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当初、崔禎鎬氏は佐野洋子さんからもらう手紙がひとりで読むにはもったいないほどで何人かの友人に読んでもらったそうです。

友人たちもその面白さを同じように感じたので、その後いくつかの手紙を雑誌に掲載したそうです。40年前の手紙から、いまだに褪せない感性があふれ出ています。

言葉は重かったと記してあるが、その気持ちをあまりにも素直に表現する術と心にもうらやましく感じました。

すなおに自分の気持ちを書こうと思っていても、案外意識もなく、その気持ちを自分のフィルターにかけていることにきづいた。

それに自分の気持ちを素直に伝えるこことのできる異性の友をもっていたことがラッキーです。お互いに高い感性のレベルで心を伝えあう、なんと素敵なことでしょう


巻頭には崔禎鎬(チョンホンジ)氏にあてた谷川俊太郎氏の詩が添えてります。

谷川俊太郎氏はかつて佐野洋子さんの夫であり、その後離婚しました。谷川俊太郎氏が韓国の文学界と交流をしている背景には、当時、妻と一緒に崔禎鎬(チョンホンジ)氏と交流していたことも背景にあるのではないかと気づきました。

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嫉妬しながら読んでいるうちに、私自身の心が解放されていきました。

時々ページをくくりながら、読み直したりしています。


# by shinn-lily | 2017-06-18 16:45 | | Trackback | Comments(5)

2017年 ソウル ドラマのように⑩ 登場人物5番 ヘミさん

ヘミさん(仮名)がどんなに素敵な方が表現方法がわからない。

ともかく背は高く、美しく、気さくで、声が透き通って、なによりも目が明るい。

楚々としたセンスの良い服装で足元はスニーカー、颯爽と歩く

ヘミさんは6人の子供さんがいらして、その上学校で授業をもっている。

この日は丁度授業がないのでと車を出してくださった。

オンニーとヘミさんはKBS(韓国国営放送)でかつて放送作家として一緒に働いていらした。

「あの頃は二人目の子供がお腹にいたわ」

「ヘミさんは今おいくつ?50代?」

「じゃあわたしたちよりすごくわかくてキラキラね」

「そう、パンチャパンチャ(キラキラ)よ」と華やかに笑う。

仕事をもって6人の子供さんを育ててオンニーと私のために、大切な時間をさいてくださった。

オンニーのお友達は不思議なほど魅力的な方ばかりなのだ。

待ち合わせの場所はソウルの町中にある雲硯宮、「興宜大院君」が住んでいた宮である。

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「興宜大院君」は李王朝代26代高宗の父親であり12歳の高宗の摂政にあたり、この地は改革の中心でもあったという。

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当時の複雑な世相から、すぐ上には日本の建物があり、「興宜大院君」の動向を監視していたという。

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ヘミさんのハングルの説明は1/3くらいしかわからなかったけれど、

こんな風にモデルさんがたくさんいらして、だいたいの様子は理解しましたできた。

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手の込んだ塀が美しい。


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ヘミさんの車でわたしたちは次の目的地に向かった。

まもなくわたしたちはヘミさんの巧みな運転に目を見張ることになる。


# by shinn-lily | 2017-06-14 22:39 | ソウル | Trackback

女性が働き続けること③

もうすぐ驚くことに67歳になる。(本当におどろいてしまう!)


現在は週4日午前中勤務

私の年代、とくに比較的お嬢様学校と言われた学校の環境では、大学を卒業したら、お料理教室でも通って、そのうち結婚、そして専業主婦になるのがあたりまえと思っていた。

甘かった!

なかなかそうはいかない。たまたま離婚してしまったから、働かざる得なかった。

本当は家で手芸やお料理をしているのが、性分にあっていたのだけど。

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それでも結婚前に、10か月ほどボランティア団体の事務局で働いた。

女性4人の職場でチーフというのが個性豊かな方で余命宣告されている方と結婚し、子供を産み、看取った後は娘をひとりで育てていたという愛情豊かな方だった。

よくしていただいたが、仕事に厳しく、感情的にややムラがあり、よく涙し、あのようになりたくないと思っていた。

今から思うと、恥ずかしいことだ。

何故なら、その後そのチーフから教わったことが、どれだけふたたび仕事をするようになってから役立ったことか数えきれないほどなのだ。

WMCAの秘書課を卒業なさっていたので、事務を含めた女性の仕事基本を教えてもらった。

ときおり思いだし、天国に向かってお礼を言っている。若いということはもの知らずであり傲慢でもある。

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人生はたまたまということが多く、たまたま自営だったので、離婚後父の会社に勤務することになった。

しかし実情はなにも取り柄のない女性に職場なかなかないのが現状だった。

子どもが小さかったため、時間的には融通をきかせてもらったが、その他の特別待遇はいっさいない。

一見親の会社ならよいかと思われがちだが、そこは多くの眼、または好奇の眼が注がれるので、身をきちんと律していかなければならない。

入社前に簿記の学校に数か月通い、秘書検定2級を受けて最低常識だけをなんとかつけやきばで勉強した。

父は女性が仕事をすることを嫌い、結婚当初まだ貧しかった頃、母が内職の仕事を近所の人から紹介され家に持ち込んだところ、ひどくしかってやめさせたという。

その後、母が自分の会社に出ることもさせなかったくらいだから、私が会社に入ることはかなりの妥協だったことだろう。

それに比べて長男が入社するときは嬉しかったようだ。

父は私が「洋服を買った」というと喜び、試験前に夜遅くまでおきていると、「勉強はいいから早く寝る様に」と言しまつ.

技術や世の中に対しては先を見ていた父だったが、こと女性問題は前近代的だった。

当時のほとんどの男性の意識もそんなものだったに違いない。

私と妹は後に父の教育方針が悪かったと冗談で悪態をついた。

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子どもというものはまことに勝手なものだ。

結局現在、妹も私も仕事をし続けている。




# by shinn-lily | 2017-06-08 08:02 | 大切な場所 | Trackback