カテゴリ:韓国を考える( 12 )

株式会社クオンとCHEKCCORI(チェッコリ)


書店をまわってみて外国文学というジャンルで韓国の翻訳本を見つけるのはまれなことです。
距離的にこれほど近い国なのに、またまた遠い国だと実感してしまう瞬間です。韓国を何度も訪れているうちに、絵空事のドラマではなく、小説も読みたいと思う様になるのです。
スペインに行ったらドン・キホーテが読みたくなるように。
もちろんハングルでは読めませんから、翻訳本を探しているときに「株式会社クオン」という会社と出会いました。
この会社が出版している「新しい韓国の文学シリーズ」は実に良心的な仕事だと思います。

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興味深い本の選択、センスの良い表紙、残念なのは価格が高いこと、限られた読者が対象ですからしょうがないですね。ぼちぼちと読んでいます。
このシリーズの第1回配本はイサン文学賞(日本でいえば芥川賞か?)を受賞したハンガンが書いた「菜食主義者」です。
「まあなんと理解しがたい小説だこと」と違和感も持ちながらも、心にずしりと残っていたこの本が今年「ブッカー国際賞」を受賞しました。

また「韓国・朝鮮の知を読む」と言う本はわたしの韓国への興味を、その時その時に満たしてくれるものです。たいくつするとときおり取り出してはぱらぱらとめくります。

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本の紹介文より
「日本と韓国の知識人 140名が集い、日本語圏の読者に向けて韓国の〈知〉についての書物を語る本となっている。各執筆者がそれぞれ 1冊から 5冊ほどの、韓国の〈知〉に関わる書物を推薦し、それをめぐって 2000字ほどを執筆するというものである」。

そこで知る本や作家が、韓国への一歩、また一歩の道を開いていきます。
日本と韓国の文化を支えている知識人の魂が集まった本で、細い糸ではありながら、実はしっかりと両国は結ばれていると感じました。

クオンがと関連するCHEKCCORI というブックカフェが神保町の小さなビルの3階にあります。

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ここにはクオンの本はもちろんのこと韓国の本もあり、お茶をいただきながらゆっくりと本を選ぶことができます。
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韓国に行ったときも書店には寄るのですが、ハングル文字を読むのが困難なのでどこから手をつけて良いかわかりません。


スタッフのアドバイスを受けながら一冊の本を選びました。

書名が読めたから

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たくさん入っているイラストが気に入ったから

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書名は

그러니까 웃어요  だから笑って

この本を見ながら、なぜか良い知らせが2件続きました。
両方とも、心配していたお体具合が良好というお知らせでした。


だから」の訳はこの本を読めばわかるのでしょうか?
とてもこの本が読めるようになるとは思えませんが、やっぱり・・・ああ、読みたい!
by shinn-lily | 2016-09-03 23:28 | 韓国を考える | Trackback

李良枝著「ナビ・タリョン 」嘆きの蝶 そして全州の友


「あ、その人知っています。私の友達のお姉さんです。」
私が今読んでいる本をさしてこう言ったのは韓国全州にある韓日交流センターで日韓の交流に務められているmeiさん。
全州に行けば、まるごとお世話になっている方です。
日本へ帰国のひと時、私の住む町まで来てくださって、全州の話題、韓国の話題、そして本の話など、楽しいひと時をすごしました。
meiさんが知っているといったのはこの本は「由煕 ナビ・タリョン 」
知っているといったお友達のお姉さんは李良枝さん

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家庭が複雑でご両親の離婚が大変でね・・・そうそう
お兄さんが二人いて亡くなってね・・・そうそう
帰化されたことが納得できなくてね・・・そうそう
死にたい、死にたいって言っていたみたいで・・・そうそう
それで、若くして亡くなってしまって・・・そうそう
meiさんが話してくれることは、ほとんど知っていました。
「ナビ・タリョン」(嘆きの蝶)で作者は自分のおいたちを語ったのだと、meiさんの話を聞いて納得しました。
meiさんは留学先として韓国を選んだのも、その妹さんを通して高校の頃から韓国を意識するようになったからだということでした。

著者李良枝さんは自分の出自を求め、韓国に渡り、伽耶琴(カヤグム)や舞踏、そして言葉を学びます。
そこで日本に居場所を見いだせなかったように、結局韓国にいても居場所を見つけられず、深く傷つきます。
鷺澤萌も「ケナリも花、サクラも花」で同じ想いを綴っていました。
それにしても二人とも、30代で亡くなるなんて。しかもお二人とも美人で才能あふれる女性なのに。

お隣の国韓国が気になり、そこを尋ね、その国の温かさを感じ、その国との違いを感じ、
似たような顔をしているのに考え方の違いに不思議を感じている程度の部外者の私が、李好枝さんや鷺澤萌さんの想いがわかるなどと尊大なことは決して言えません。
それでも、meiさんが韓国の人々に日本語を教え、日本文化を伝え、
私が韓国に興味を持ち、また全州に訪れる、
そんなささやかなことが積み重なれば、地図上の国境線が黒からグレーくらいに変わるかもしれません。

会いたい人がいるから、行きたい場所があるから全州にはいつも行きたいと思っていますが、なかなかかないません。
たとえたびたび行けなくても、そんなつながりが今嬉しいと思っています。

待っていてください、朴先生~♪
meiさん、その時はまたお世話になります~。
by shinn-lily | 2016-06-27 21:52 | 韓国を考える | Trackback

ハングル文字への敬愛 

初めて韓国を訪れたのは22年前であった。
景福宮でその韓国の歴史の説明を受けて
「ハングルの文字は世宗大王が障子の桟を見て作った」と説明を受けた。
それが冗談だとその時は気が付かずに、ずーっとそういうものだと深く考えなかった。

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その前の年、北京では漢字が読めるので街で見る店がどんなものかは想像がついた。
しかし、ソウルの街では幾何学模様のようなハングルが外から来た私たちを拒んだ。
日本ほど英語の看板が少なかった。
それでも当時はまだ漢字の看板がいくらか残っていたように記憶している。
その後、ソウル、釜山、慶州、水原、全州へと何度となく韓国に行くことになった。
そうなれば、あの幾何学模様をなんとか読みたいものだと欲が出てくる。
ここ2,3年、NHKのハングル講座、放送大学の朝鮮語講座、そしてドラマ・映画・K-popに触れハングルが身近なものになった。
もちろん、大切な友人の朴先生からいただくハングルのメールはなによりもの励みである。
言葉や文字は人と人とを繋ぐ宝石である。

ハングル文字は15世紀、李王朝第4代世宗大王が宮殿に集賢殿を設置して優秀な学者に作らせた。
「愚かなる民は言いたいことあっても、その情(こころ)を述べるともできずに終わるものが多い。予はこれを見るに忍びなく、二十八文字を制くった。
これもただただ、人々が習うに易く、日々用いるに役立つよう、ねがってのことである。」
これを「訓民正音」という。
後にハングルと呼ばれるようになったこの文字はほとんどの音を表現できる世界でもすぐれた文字だと言われている。
母音は陰陽の原理「天・地・人」、子音は五行に基づいて作られ
その文字の形は音するときの器官の形を模したものである。障子の桟の形ではなかった!
(いろいろな説がある)

当時漢字を学び、使えることこそ上流階級両班(リャンバン)のシンボルであった
文字を作り上げることにもまして、その文字の流布は難しいものであったのは、特権階級の抵抗があったからだ。女の文字だ、身分の低い者たちの文字だと蔑まされた。
誰でもが字を書くことができるようになると、自分たちの存在意義が薄れ、社会の構造が変わることを恐れたからだ。
後の王がハングルを使うことを禁止したこともあった。
また、近い歴史の中で、日本統治時代には教育は日本語で行われたので、学校ではハングル文字を使うことができなかった。

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ハングルについてこの本を読んだ時、今、ほんのわずかでもハングルを読めることを誇りに思い、
一文字、一文字に愛着を感じるようになった。新しい文字を作ろうという発想に深く敬服した。
そして一方では漢字が残っている日本語の良さもまた感じることになった。
これが、異文化の触れ合う、いやぶつかりあう瞬間のときめきだ。



おりしも、同僚がハングルを作る世宗大王を描いたドラマ「根の深い木」のDVDをもってきてくれた。

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時代の映像を見ることが出来るが、ドラマの半分は作り話しとして見ることにしている。

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世宗大王は当時まだ40代であった。
李王朝歴代の王で最も国民に敬愛されているせいか、韓国のお札や文化施設にその名前が見られる。

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実際の世宗大王の肖像はない。
俳優の한석규(ハン・ソッキュ)氏が好演している。

世宗大王はドラマの最後で
「もはや『訓民正音』は自分のものではない。民のものであると」と結ぶ。
シナリオ作家の構想はこの言葉から始まっていたに違いない。



ハングルの誕生 野間秀樹著
平凡社新書
by shinn-lily | 2016-05-15 23:56 | 韓国を考える | Trackback

立春 心躍る集い

興味が同じ友人とのおしゃべりほど楽しいことはありません。
文化への興味、ドラマへの興味、音楽への興味、習慣の興味、伝統への興味、考え方への興味
全ては近くて遠い国、韓国への興味です。
全州(チョンジュ)の韓日交流センターで知り合った、いえすれ違った仲間です。
みなさん、ハングルを勉強して、わたしよりずーっと話せます。
Mさんの釜山映画祭に行ってきた話しを聞いて心躍ります。
韓国の地方までひとりでコンサートにお出かけになるT先輩には驚かされます。
統営(トンヨン)に行ってみたいと話したら、もうすでにいらしたことがあると、、、
私の興味をどんどん広げてくださいます。
「オモニをお願い」という本をすぐに読んでみたいと興味を示されたHさん。
みなさん、読書家で、片寄った私の読書傾向を刺激してくださいます。
向学心のある方々はわたしにたくさんの栄養補給をしてくれました。



立春を過ぎると、空気は冷たくても、陽射しが強くなって日も長くなってきました。
久々に外歩きです。
函南の空には鳥のようにパラグダイラーが飛び、

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熱海、糸川岸の桜はすでに満開を過ぎていましたが

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梅は満開です。

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春がほんの少し、顔を出し始めました。

熱海から帰るとMさんから宝物が届いていました。


ハングルの単語は唄から覚えることも多いのですが
「100回聴いても意味はわからないのよね」とYさん。
やはり対訳からひとつひとつ文章を見ていかなければなりません。
大好きなソンシギョンさんのCDはほとんどが韓国版です。
歌詞カードはありますが、小さい字で見にくい上に、対訳はもちろんありませんから意味がわかりません。
自分で辞書を引きながら・・・ああ気が遠くなります。
というわけで悲しい唄、楽しい唄くらいしかわかりません。

メモリーは
Mさんの好きな、そして私も好きなソン・シギョンさんの全CDの歌詞と日本語訳が入ったお宝です。

             

お金では買えないものです。
わたしにとってダイヤモンドの指輪にも相当します。

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Mさん、有難うございます。
唄を聴きながら、ハングルの勉強をします。
学ぶことはなにより楽しい遊びだと考えている皆様についていけるように
もう少し勉強をしなければと刺激を受けた4時間でした。


Mさん、Yさん、Hさん
楽しい時間を有難うございました。
by shinn-lily | 2016-02-07 16:40 | 韓国を考える | Trackback

金素雲著 三韓昔がたり

古い昔、朝鮮には新羅、高句麗、百済の三国にわかれていた。
この時代を三国時代という。
この時代を学生時代に世界史で習ったのか、日本史で習ったのか覚えていない。
任那日本府という言葉は日本史で習ったような気がする。
それはともかく,
たまたま手にとったのが、この子供向けの「三韓昔がたり」という歴史本であった。

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はしがきを紹介したい。
遠い路に旅立つものは、身支度に心をくばる。わすもののないように、先々で不自由をせぬように。
日本はいま、大東亜の先駆者としての、はるかな旅に上がろうとしている。苦しみや不便も、さだめし多いことであろう。それでも行き着いた日の楽しさを思えば、苦しみなど、もののかずではない。
今日の日本の子供ほど、おおくの艱難を背負はされた者はない。
今日の日本の子供ほど幸福に恵まれた者もいない。
わたしくしは、こころからの言葉で、きみたちにことづける。
しつかりと身支度をととのへて、この険しい旅を歩みにぬいてくれたまへ。そのためには、きみたちに知ってもらはねばならぬことが沢山ある。
『三韓むかしがたり』と名付けたこの本の中には、古い昔からの朝鮮にあった、さまざまな語りぐさが集められている。中略
「こんなにも違う」ということは、「こんなにも同じい」ということだ。縦にも横にも、わたしたちの心は、もつともつと、広がらねばならない。ひとりでも多くの人を理解しよう。古いことを通して、一つでも多く、新しい意味を学び取ろう。以下略


このはしがきに心打たれた。
子供たちにしっかりとしたメッセージを贈っている。
戦時下であるがゆえに、この国に帰属しなければ出版は不可能であった。
けれども、金素雲が目を向けていたのは子供たちは自分の母国の子供たちに違いない。
この本が出版されたのは戦時下の昭和17年、韓国は日本の統治下にあった。
金素雲氏は12歳のころ、釜山から伯母をたよって日本に渡り、苦学生として学び続けた。
21歳の時北原白秋に認められたのが、自ら採集してまとめた「朝鮮民謡集」である。
おいたちは自著の「天の涯に生くるとも」から読み取れる。

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しかし金素雲は一言では語れない人物である。
出版のためには強引に金を引き出さねばならない。
並みの人生では、物書きとして生きていくことはできなかったはずだ。
金素雲は日本人女性との間の子供とは2歳で別れている。
北原綴(ペンネーム)というこの息子の葛藤は「われらが他者なる韓国」四方田犬彦著の中で紹介されている。

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父に捨てられ、母の愛情を受けることが出来なかった北原綴は屈折した人生を送ることになる。
童話作家でもあった北原は後にベルギー宝石事件や偽札偽造、そして宝石商を殺す事件を起こし、無期懲役の身となった。
その時被害者に謝って歩いたのは再婚した夫とともに某大手石鹸会社の創業者であった実の母親であるという。
「恩讐の海峡 佐木隆三著より」

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母国の子供たちに、格調の高いメッセージを贈りながら、自分の子供はまともな人生がかなわなかった。
朝鮮と日本の間で揺れ動いた人々の心に分け入ることは、私たちにはできるはずはない。

『三韓昔がたり』から始まった金素雲をめぐる旅は
手元にあるこの三冊の作品に到着した。

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この三冊は金素雲の人生の結晶であるに違いない。
そこから受ける心だけで十分である。
私たち読者はこの結晶の中にそれ以上複雑な問題を持ち込む必要はないのだ。
by shinn-lily | 2015-03-31 23:38 | 韓国を考える | Trackback

金衍朱(キムヨンス)著 「世界の果て、彼女」 



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「・・・当てにならない記憶力のせいで、途中いくつかの歯車が抜け落ちたように見えたとしても、結局のところ、人生は噛み合う歯車で動く装置のようなものなのだから。
あらゆることには痕跡が残ると決まっていて、そのせいで僕らは少し時間が経ってからやっと、何が最初の歯車だったのかわかる。・・・」


冒頭のこの歯車という言葉がなによりも記憶についてまわった。
実際、人間の一生を考えてみても生まれた時から歯車がゆっくりとまわり今に至り
逆にひとつの出来事をたどって振り返ってみると、その歯車がよりはっきりと見える。

この物語は図書館に働く真面目な女性ボランティアが歯車を廻すところから始まり、
主人公の僕がその歯車をたどっていく。
たどりついたところが世界の果てなのか・・・余韻を残して終わる・・・歯車を止めることなく物語が終わるのだ。
作者はこの本に収録されている他の短編作品も、こうして物語を読み終わった読者に歯車を廻し続けることを望んでいるに違いない。結論は読者にまかせるという感じてで終わるものが多い。

著者のあとがきによると「世界の果て、彼女」は日本のユニット「World’s End Girlfriend」からとったタイトルだという。
「世界の果て」といいながらなぜかそこで歯車が止まらない、良い響きの言葉だ。
本当のところさらっと読めるのだが、実は難解であった。
二度読んでも私の感じたことが、作者の意図したところかどうかは定かではない。
それでも歯車が回り続ける心地良さがあった。

翻訳者呉永雅(オ ヨンア)氏のあとがきに著者は
「韓国、日本、中国がお互いに理解する上でも、歴史を通じてではなく、各個人の肉体や感情、気持ちを通じて初めて三国の人たちは互いに理解しあえる」
と語っていることが記されている。
私が、日韓問題を考える時の気持ちはまさしくこれなのだと確信した。

著者金衍朱氏は人と人が理解しあうことに懐疑的な想いをいだいている一方で
人間同士の疎通を、自信の小説を通して試みている。
その試みこそ、国境を越えて、読むものを引きずり込む力なのではないだろうか。

「世界の果て、彼女」 金衍朱著
新しい韓国の文学10
株式会社クオン
by shinn-lily | 2014-09-17 22:01 | 韓国を考える | Trackback

崔仁浩(チェイノ)著「他人の部屋」

私たち日本人は小学生の時から西洋の文学には慣れ親しんでいる。
現在放映されている「花子とアン」の村岡花子の翻訳の他、南洋一訳のルパン全集やマークトウェン他子供向けの本がたくさんあった。それらはたいていいわゆる西洋の話であった。
中国文学とだいそれたものではなくても、中学になれば漢文の授業があって、李伯の史に触れ、孔子の儒教精神のさわりくらい触れてきた。
ところが、その他のアジア諸国の文学には学生時代もそれ以後、ほとんど触れずに過ごしてきたことに気付く。
たまたま韓国に興味をもち、ここのところ何冊かの小説を読んでいる。
韓国文学に興味があったわけではなく、時代を文学から探りたいという不純な動機からである。
隣国の文学は西洋文学と違った味わいで接触することができるような気がする。

崔仁浩著「他人の部屋」は短編集であり、ここに収められているほとんどが1970年前後に書かれたものだ。

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1970年といえば、私は20歳であり著者は私より5年前に生まれているから25歳である。
当時日本は高度成長の終盤であり、学園紛争が終息しつつあった時代だ。
韓国はまだ軍事政権下にあり、民主化への胎動もまだ抑えられた頃である。
ハンセン病の子供たちの味方をするのはベトナム戦争で足を失くした教師である(未開人)。
「ぼうや」と呼ばれる子供が「母さんが死にそうなんだ」と言いながら父親を探していると酒場を歩き、おとなから酒を飲ませてもらう。酔って帰りつく先は孤児院である。父親を探しているという夢にすがっているのだ(酒飲み)
当時の底辺に生きる人の心にするどく焦点をあてている。
若かった頃書かれたこの作品の感性はみずみずしい。
面白かった。
韓国がまだ今の発展を得ていなかった頃の社会を想像しながら、韓国の人々の心を探った。

もうひとつ興味深いことがあった。
この本の翻訳者井手俊作氏は韓国語に興味を持ち勉強をし、新聞社を定年退職した後、この本を翻訳したのだという。
われわれシニア世代に勇気を与えてくれる。
金銭を得ることをメインに考えずに好きなこと、興味のあることが出来るのはある意味われわれ年代の特権でもある。
ただし、こつこつと続けていく根性をもたなければならない。

崔仁浩著「夢遊桃源図」も井手氏の翻訳で同時に出版されている。

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この作品は「三国史記」の短いエピソードを元に小説的な構想で書いたという。
このタイトルは画家安堅(アンギョン)が描いた名画の題で「そのみち私たちの人生というものは夢の中の桃の花咲く丘で遊ぶ一幕の遊戯にすぎないということを書いたと後書き(2012年7月)の中で作者はいう。
いずれにせよ人生は、アリラン、アリラン、と流れてゆく・・・と。
翌年の9月、崔仁浩は病気のため亡くなっている。享年67歳。

動機はいろいろあっても、結局読み進めていると人間の心の内に国境がないことに気付く。
韓国の小説は引き続き読み続けている。


文章中(  )囲みは短編の題名
崔仁浩著 「他人の部屋」 コールサック社発行韓国純文学シリーズ1
崔仁浩著 「夢遊桃源図」 コールサック社発行韓国純文学シリーズ2
いずれも2012年翻訳出版
by shinn-lily | 2014-09-11 21:54 | 韓国を考える | Trackback

舞踏家 崔承喜(チェスンヒ)



前述のアレン・アイルランド著「THE NEW KOREA」の裏表紙に一人の女性の写真が載っている。

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六月のソウル旅で宿泊したウェスティンホテル朝鮮での優雅な一コマだ。
まだ朝鮮ホテルとして開業したばかりの頃だ。
この女性は崔承喜(チェスンヒ)という朝鮮だけではなく、日本やヨーロッパで活躍したダンサーだという。

彼女の印象が強く残っていたところ
詩人茨木のり子の「ハングルへの旅」で、たまたまこの崔承喜(チェスンヒ)について知ることになった。

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この女性はもともとは両班の家に生まれで、日本の舞踏家石井莫に認められ門下生となったそうだ。
前衛的なダンスは大胆であり、また韓国伝統の舞の振りのエッセンスを取り入れた舞は可愛らしくて朝鮮だけではなく敗戦近い頃に日本の帝劇で20日間の公演をし、美しさに飢えていた人々を魅了したという。
以下「ハングルへの旅」から文章を転載する。

崔承喜が十六歳で石井莫の門下生となった直後、大正天皇の崩御があり、その葬列を見送る時、彼女は後ろむきにお辞儀したというエピソードがあった。・・・『崔承喜』(高島雄三郎著)という本を読んでそれが事実と知ったのである。彼女は、「私たちの国をいじめるところの一番偉い方でしょう、天皇さんを拝む気持ちにはどうしてもなれません」とはっきり言っていた。十六歳で、と改めて思う。
しかも、悲しいことに、1945年以降は、新日芸術家として、祖国でも苦難の道をあゆむことになる。はじめソウルに戻ったのだが、やがて夫、娘と共に北朝鮮へ脱出、現在は(1989年現在)朝鮮民主主義共和国で後進の指導に当たっているという。
戦後、崔承喜は静粛されたとか、朝鮮戦争で死んだとか、実に勝手なデマが飛びかったが、1956年平壌に文化使節団の一人として行った尾崎宏次氏が、その元気な姿に接して、会見にまとめている。
それ以後、また消息は途絶えてしまった。


一人の舞踏家の人生は木の葉のように国と国の思惑によって翻弄された。
それは崔承喜だけではなく
当然、国民のひとりひとりに国によって翻弄される生活があった。
日本人も、朝鮮人も、
そして今も世界のあちらこちらに戦いによって生活の場を失くしている人々がいる。
by shinn-lily | 2014-08-24 22:59 | 韓国を考える | Trackback

アレン・アイルランド著「THE NEW KOREA」から日韓併合を探る

李王朝末期、清やロシアが韓国を我が物にしようと企んで忍び寄った時
日本はいずれそれらの国々は日本にも忍びよってくることは必然として、それをくい止めるために日清戦争を開戦したという。
日進戦争に勝利した結果、日本は1910年韓国を併合した。
李王朝末期の様子は英国人旅行家イザベラバードの「朝鮮紀行」によく描かれていることは、前にも書いたとおりだ。
では併合後、日本がどのような政策をもって韓国を統治したか
その様子は同じく英国人学者アレン・アイルランドによって書かれた「THE NEW KOREA」に丁寧に記載されている。

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副題、「朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)」がその内容を総括しているように思える。
昭和元年に出版されたこの本は翻訳されて昨年日本で出版された。
アイルランド氏は冷静に、どちらの側に立つこともなく当時の日本の政策について記述してゆく。
今、この本が出版されたことの意味も考える。
日本人も特に韓国人も著者と同じ姿勢にたって、冷静に日韓関係を見ることは無駄なことではない。

興味深いポイントは
日本の韓国併合が他の諸国がアジアを植民地化してゆくことと明らかな相違があるという。
「ある文明化された民族がもう1つの文明化された民族を統治したという稀な光景を見せてくれる」
韓国は当時李王朝の政策のまずさから衰退していたとはいえ、れっきとした文化を持っている。
古代より、韓国は日本文化に大きな貢献をしてきたことは事実である。
日本が台湾を統治したのとは全く違うのだ。
台湾の統治は新しいものを作りあげることから始まったが、韓国はこれまでの悪政をただすことから始め、さらに文化、技術を導入にして国民全体の生活水準をあげようとしたのだ。
日本はそのために莫大な費用と人材を投入し、そこからの利益を搾取するというよりは、日本の一部として本土と同じような水準に引き上げようとした様子が資料からしっかりと読み取れる。

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          本書636ページより1892年の漢城(ソウル)南大門と日本統治後の京城(ソウル)南大門

特に第三代朝鮮総督斉藤実について、著者の評価は高い。
公明正大で寛容の気持ちを持ち朝鮮を統治し、教育、地方自治に惜しみなく力を注ぎ、日本人と朝鮮人の友好を協力の精神をつくりあげようと尽力したとされる。
後に内閣総理大臣となり、その後二二六事件で暗殺された斉藤実は、空の上から今の日韓関係をどのように見ているのだろう。

斉藤実だけではなく多くの日本人の努力があった。
インフラが整備され、教育制度、警察・裁判制度など、次々と法治国家としての体制を整えていった。
この時代に両班に暴利をむさぼられていた朝鮮の人々の暮らしは、やっと豊かさにむかって、歩き始めたのである。

アイルランドの著書からみれば、日本は素晴らしい植民地政策をなしとげたとことがわかる。ある意味、日本政府の方針に感銘した。
しかし読み終えた後、そこに朝鮮人の心は読みとれなかった。
朝鮮文化の排除と日本文化のおしつけ
つまり日本語による教育の強化など、国民がその時、何を感じ、どのような気持ちで暮らしていたのかは、この本から読み取ることができないのだ。
この本はあくまでも、日本の政策の記録である。

改革への尽力は事実としてとらえるのがよいと思う。
しかし当然国益のための政策であるから、よかれと思ってやったことが、韓国の人々にとっては違和感、反感も多数あったはずだ。
その反感は現在の韓国政府の意図したとおり、反日につながっているのだろう。

物事はいろいろな方向からみるのがよい。
その時韓国の人々がどんな思いで生きていたか、またべつの角度から探ってみようと思っている。

発行:桜の花出版 / 販売:星雲社
by shinn-lily | 2014-08-21 10:27 | 韓国を考える | Trackback

韓国の小説を読んでみた

いろいろな角度から韓国を考えてみる。
小説を読んでみた。
現代韓国女性作家短編集は1960年生まれから1971年生まれの女性が書いた短編集である。

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実際この年代の日本の女性作家の作品をそれほど読んだことがない。
よしもとばななさんや角田光代さん、江國香織さんなどがその年代にあたるのだろうか。
代表作を読んだ程度である。
初めは日本と韓国の比較をなにか見つけようという気持ちがあったように思える。
しかし、それがいかに意味のないことか、すぐに気付いた。
心を空にして読んで、小説を楽しめば良いのだ。
いえ、逆かもしれない。読み進めるうちに、国と国との比較などとっくに忘れていたのだから。
韓流ドラマを見ているせいで、背景はうかぶ。日本と違う習慣かなりインプットされているせいか、違和感はなおのことない。


次に韓江(ハン・ガン)著「菜食主義者」を手にとった。日本でいう直木賞にあたる李箱(イサン)文学賞を受賞した作品である。

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たいしてとりえがなく、平凡な女、少なくとも外からはそう見えた一人の女が壊れていく過程でまわりの人間、夫、両親、妹の夫、そして妹を嵐のような風に巻き込んでいく。
そして最後は木になりたいと言い張る。
それぞれの底に隠れていた心がその嵐によって露わになってゆく。
不思議な読後感であり、面白かった。


そして「山のある家 井戸のある家」は津島佑子さんと申京淑(シンギョンスク)さんのソウル東京間の往復書簡である。

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研ぎ澄まされた言葉により表現されるソウルと東京の季節の移ろい、そして心を次第に柔らかにして寄り添い語り合う家族への想い、仕事への想いは、読者に気が付けば穏やかな小川に足をつけている気持ちにさせる。
それはけっしてイムジン河ではないのだ。玄界灘でもないのだ。
津島佑子さんの言葉の美しさを感じるたびに申京淑さんの言葉を原文で読めたらなぁとうらめしく感じた。
もっともこのお二人もきむ・ふなさんの翻訳で手紙を読み、書いている。
申京淑さんは原語で読んで言葉の不自由さにとらわれながら理解するより、翻訳したものを読みこんだ方が、理解が深まるというようなことを書かれていた。
なるほどと思いながらも、原語で読んだらどんな響きになるだろうとやはり心にひっかかった

この3冊を読んでつくづく良かったと思う。
韓国を評論本から理解するのではなくて、人を知る方がよほど楽しい。
日本人から見た韓国人ではない。人間からみた人間は国の違いは問題ではないから。
by shinn-lily | 2014-08-14 23:54 | 韓国を考える | Trackback