カテゴリ:本( 33 )

親愛なるミスタ崔 隣の国の友への手紙 佐野洋子


絵本作家佐野洋子さんと韓国の哲学者崔禎鎬(チョンホンジ)氏のお二人がまだ若い時、まだ有名ではない時に留学先ドイツで知り合あいました。

その後それぞれの道で名をなし、それぞれの国で生きてきて

その間40年にわたってかわされた書簡集が出版社クオンから出版されました。

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あっという間に読んでしまって、たくさんの佐野洋子さんへたくさんの嫉妬心をかかえることになりました。

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まずその感性!

「親愛なるミスタ崔

韓国と中国と日本の巨大な頭脳が集まって地球の行く末を考え立派なえらいシンポジウムがおこなわれている歴史的な日を平凡なおばさんはキャベツをいためて食べながら、ああ民主主義とは大変なことだなあ、昔のように士農工商と身分がはっきり差別されていたら、私は百姓の娘、わが心の苦しみなどで気狂いなどにならずにすんだものを、牛や馬の一生と何も変わらぬ過酷な一生をそんなもんだと思って墓の中まで行ったものを。抜粋」1997年

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当初、崔禎鎬氏は佐野洋子さんからもらう手紙がひとりで読むにはもったいないほどで何人かの友人に読んでもらったそうです。

友人たちもその面白さを同じように感じたので、その後いくつかの手紙を雑誌に掲載したそうです。40年前の手紙から、いまだに褪せない感性があふれ出ています。

言葉は重かったと記してあるが、その気持ちをあまりにも素直に表現する術と心にもうらやましく感じました。

すなおに自分の気持ちを書こうと思っていても、案外意識もなく、その気持ちを自分のフィルターにかけていることにきづいた。

それに自分の気持ちを素直に伝えるこことのできる異性の友をもっていたことがラッキーです。お互いに高い感性のレベルで心を伝えあう、なんと素敵なことでしょう


巻頭には崔禎鎬(チョンホンジ)氏にあてた谷川俊太郎氏の詩が添えてります。

谷川俊太郎氏はかつて佐野洋子さんの夫であり、その後離婚しました。谷川俊太郎氏が韓国の文学界と交流をしている背景には、当時、妻と一緒に崔禎鎬(チョンホンジ)氏と交流していたことも背景にあるのではないかと気づきました。

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嫉妬しながら読んでいるうちに、私自身の心が解放されていきました。

時々ページをくくりながら、読み直したりしています。


by shinn-lily | 2017-06-18 16:45 | | Trackback | Comments(5)

橋本治という行き方


「本」というものは、「他人の世界観を目の前にして、それを理解するために自身の世界観を修正する」というような、とんでもなくめんどくさいものである。「学ぼう」という意思、「自分はこれを学ばなければならない」と思う謙虚さがなければ「本を読む」ということは可能にならない。「本を読む」にはそういう厄介さが中心にある。

又、
「本なんか読まなくて大丈夫」と思う人達は、自分の中の「出来上がってしまった世界観」だけで、なんとかやっていける人達なのだ。そして現代ではそこから問題が生まれる。なにしろ、イラク戦争は、「異質な世界観のぶつかり合い」でしかないからだ。
 私は現在の問題の多くが、「異質な他人に対する想像力の欠如」を原因にしているとしか思えない。そういう意味で、「他人というテクストを読む」が出来にくくなっているのだがそれはつまり、「本をちゃんと読めない」と同じなのだ。だからこそ、「本は要る」のだ。

橋本治という行き方 橋本治 朝日新聞社寄り「本というもの」より

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なにしろこの本は難しい。2001年から2005年までに書かれた約40の文章が納められている。一編はエッセーの長さだが、個人的にはエッセーというくくり方をしたくない。教養について、批評についてに多くさかれている。
ふんふんふんと読んでいくと・・・もちろんすぐに理解できるわけではないのだが・・・最後の一言でガンーンとやられる。
つまり最後の瞬間に私の理解能力を超えてしまうのだ。
ならば読まなければよいのに、やめられない。

引用した文章「本というものは」は私にとって身近な題材だ。
何度か読み返してみた。
「本」というものは「異質な世界観と出喰わす衝撃」でもある。
とも書かれている。
私が本を読むのが好きなのはまさしくこの「異質な世界観と出喰わす衝撃」を求めているからだ。
しかし、こうも書かれている。
本を読むことがもっぱらに「楽しみ」である人達は、読むことが苦にならないものばかり読む。
とも書かれている。

いえいえ、橋本治様
引き続きご著書「橋本治という考え方」朝日新聞社刊を読んでいます。
これがまたまた難解なのですが目が離せないのです。
by shinn-lily | 2017-04-02 15:15 | | Trackback

アリラン峠の旅人たち


旅芸人、行商人、キーセン、巫女、白丁、鎮魂にたずさわる人々の末裔
細々とその技を残し、今も世の中の片隅に生きる人々を取材した雑誌「根の深い木」に連載された記事36編のうちから
相補版は13篇(内、3篇は続編から),

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続編は11編,合計21編が掲載されている。

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すなわち21の職種が紹介されているのだが、その多くは被差別の民であり、または大きな収入を得られるわけではない人々である。
そうした底辺の人々が朝鮮の文化を支えてきた。
私は、その誇りに接したくてこの本を手にとり、さらに続編まで手にいれることになった。

韓流ドラマの時代物の中でみる旅芸人、例えば人形芝居や綱渡りのシーンの背景にどのような生活は血のにじむ訓練があったか語られている。
その多くは生きていくためにその道に入る。

またキムチ甕つくり、鎮魂、巫女、白丁はその家に生まれ、そのまま生業とする。
世間から蔑まされたその生活の中に人々の強い姿を見る。
また一時は時代の流れからたくさんのお金を得ても、やがて近代化の波にのれず、置き去りにされる職人も多い。
近代化の波に乗らないことを誇りに思いながらも生活は苦しくなっていく。
いつの時代も安寧に生きることは、たやすいことではない。

紙漉きについての記事の中に私が愛する「全州」が紹介されていた。

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訪問したときから韓紙が有名と聞いていたので何枚かインテリア用、あるいはポチ袋を購入してきた。

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韓日交流センターにmeiさんには紙で作ったオレンジとブラックのハンカチームもいただいた。

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韓紙つくりの伝統が全州にあったのは、まわりの山で良いこうぞが採れたことと
全州川の清らかさにあったという。
川の流れを思い出しながら、ハンカチの手触りを楽しむ。

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紙とは思えない良い手触りである。

この本は1994年が初版であるから、技術伝承してきた年老いた人々が今どれほど残っているかしれない。
それでも無形の文化財は語り継がれ、民衆の心へ、
あるいは、民衆の音楽として今も演奏され
形のあるものは、残され、私たちがそのものが放つ感触に接することができる。
こうして生きてきた人々の誇りに国を超えて敬意を表したい。


増補 アリラン峠の旅人達 朝鮮民衆の世界  
   続アリラン峠の旅人達 朝鮮職人の世界

安宇植編訳 平凡社
by shinn-lily | 2017-03-11 16:29 | | Trackback

1917年 読みはじめ 本から本へ


この本を手にとったのは昨年読んだ五木寛之の「百寺巡礼 朝鮮半島編」の中で著者の法頂和尚が紹介されていたのが気になったからです。

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法頂和尚は24歳の時に出家し、その大半をなにものにも囚われない山の中で暮らしました。
物に囚われない、人に囚われない
その心の動きを随筆に綴っています。
しかも、自分が死んだ後はその著作を絶版にするように言い残しました。
生きている証を残さない、その心を知ると読んでみたくなるのが心情です。
翻訳されているものが出版されていました。

「無所有」

1971年に書かれたこの随筆を中心に約50編の随筆に触れることができます。

「断捨離」という私たちが使う言葉は「無所有」という言葉でもう40年以上前に語られていたのです。

人間の歴史は所有史であると語ります。
人も国家も日々たえまなく一つでも多くのものを所有しようとしています。
その所有観念は時には自分の分際をも振り返ることなく浮き足たってしまうと。
人は何も持たずに生まれてきて何も持たずに土にかえるのだから。
物を持たないことで初めて自分の心から解放されてといいます。
法頂和尚はそれを実践しながら暮らしていらっしゃいました。

本当におっしゃる通り、その通りだと思いながら
私にはててもできそうもありません。困ったなぁ。
この年齢になってものを減らしてすっきりした生活には憧れながらも
いろいろと欲しいものがあります。
欲しいという気持ちが日々の生活に刺激をしているようにも思います

法頂和尚が好きな本であるという「星の王子さま」を久しぶりに手にとって読んでみました。

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新年にふさわしい読書時間となりました。

「星の王子さま」を翻訳なさった内藤濯氏は父の友人内藤初穂氏のお父さまでもあります。
その父上のことを書かれたこの本を頂戴しておりました。


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内藤初穂氏には私も何度もおめにかかりました。当時すでに80歳代でしたが、とてもダンディーな男性でした。
後になってわかったことですが、奥様は私の親友のお母様と仲の良い同窓生でもありました。
ご存命でしたらそんな不思議なご縁のお話しも出来ましたのに。
内藤氏のお顔を思い浮かべながら、次は、この本を読んでみようかなと本棚から取り出してきました。
by shinn-lily | 2017-01-09 16:24 | | Trackback

この世は地獄か?


百寺巡礼 海外版朝鮮半島 五木寛之

思いもにもよらなかったことだが、この本を読みながら宗教について考えていた。

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私たち日本人の多くは自分が無宗教だと思っている。
困った時は「神様・仏様・キリスト様」と全ての神様を動員して祈ってしまう。
宗教がいろいろな形でこの日本列島に仲良く存在していることを考えれば、私たち日本の国民は「ノーベル平和賞」をいただいてよいほど心は柔軟である。
しかしよくよく考えれば、無宗教なのではなく多くの宗教が融合した宗教観を持って暮らしていることに気付く。
悪行を働けば地獄に落ちると思うこともあるだろうし、あの世に旅立った時は出来れば天国がいいなとも思っている。お彼岸には墓参りをする。お盆には仏様を家に迎える。
そして京都や奈良などの古都の寺で仏像の前で手を合わせると、心が静まるように感じる。
正月には神社でお賽銭を投げ、クリスマスにはケーキを食べても、結局仏教によりそって暮らしているではないか。

インドで生まれた仏教は中国、韓国を経て日本に伝来した。
ところが、韓国で目にする仏像はあきらかに日本のそれとは違って、人間らしい。

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表情が柔らかい。

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さらに源流にさかのぼれば、その顔つきはより人間くささをともない、そのキャラクターを身近に感じる。
ミャンマーで見たものは、日本の研ぎ澄まされた仏像とはまるきちちがう。

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そんな興味からこの本を手にした。
五木氏は小さい時韓国で育ち、敗戦とともに九州に引き上げてきた。
だから韓国は郷里でもある。
そんな想いも重ね、この中で五木氏の仏教感が語れるところが興味深い。

「私たちすべて、一定、地獄の獣人ではないだろうか。死や、病への不安。差別する自己と差別される痛み。怒りと嫉妬。どんなに経済的に恵まれ、どんなに健康に恵まれ、あるいは幸せに生きていたとしても、人にはいえない悩みを抱えていない人などいなのではなかろうか」

中略

「しかし、その地獄のなかで私たちはときとして思いがけない小さなよろこびや友情、見知らぬ人の善意や奇跡のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いて見えるときもある、人として生まれてよかった、と、こころから感謝するような瞬間さえある。みなとともに笑い転げるときもある。
その一瞬を、極楽、というのだ」・・・本文より


実は私が長年自分の信条としてきた考え方に似ているので驚いた。

「人生はつらいのがあらたりまえで、これが普通なのだ。
だから、嬉しいことや楽しいことがあったら、手をとりあい、大笑いしよう」

でも、いくらつらい時もこの世が地獄だとまでは考えなかった。
いっそう、地獄と思えば、心も軽くなるかもしれない。


アジアの国、仏教国と言われる国を訪ね、あるいは日本の寺で顔やその姿に違いがっても、お釈迦様や仏像の前に立ち、自然に頭をたれ、手を合わせるのは自分の声を聴き、自分と戦うためなのだろうか。
それこそが今の私の宗教観であるのかもしれないと、
この本を読みながらふと考えた。
そういえば、これまで自分の宗教観なんて考えずに暮らしてきたのだ。

今、街はイルミネーションで彩られ、クリスマスソングが流れている。


by shinn-lily | 2016-12-18 23:18 | | Trackback

こんなに面白い「ガリバー旅行記」

ガリバー旅行記は誰でもが知っている。
しかし知っているつもりで知っているのはごくわずかなことである。
誰でもの頭の中にある画像はこれだろう。

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                                             画像は映画「ガリバー旅行」からお借りしました。

小人の国リリパット国に漂着して小人に捉えられた絵だ。この時小人は約15センチと書かれている。
丁度ボールペンくらいの背の高さということになる。


ずーと前に神田で古本を買って、最近読みだしてみるとこの本を本棚に置きっぱなしにしていたのがくやまれた。なんでもっと早く読まなかったのだろう。

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この冒険談は17世紀にイギリスのスウィフトによって書かれた。
大航海時代、多くの国が世界を植民地化していた時代でもある。
ガリバーは船乗りでもあり船医でもある。ひと財産作ろうと船に乗り込むのである。

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小人の国リリパットから生還した後、
また航海に出て今度は巨人の国ブロブディンナグ国に、
次は天文と音楽と数学が好きな人々の住む、浮いている島国ラピュータ、
その下にあるバルニバービ国は不毛な研究ばかりしていて貧しい国、
グラブダブドリップ国の首長は使者を一時的に現世に呼び出せる・・・恩恵をこうむり、いろいろな偉人や英雄にあわせてもらう。
ラグナグ国は不死の人間が時々生まれるが、不老ではないのでそのことがどんなに不幸であるかを知る。

そして馬の国フウイヌム国に漂着する。
理性ある馬の国である、人間の形をした、ならず者たちはヤフーと呼ばれ、乱暴で野蛮なため疎まれている。
検索サイトYahooの名称にもこのヤフーのならず者にちなんでいる。("Yet Another Hierarchical Officious Oracle"の略でもある)
ガリバーは言葉を取得する能力にたけていて、2,3年いるうちにすっかり現地の言葉を習得してしまう。すると今度はガリバーからいろいろ情報を聞きたがる。要望に応じてヨーロッパ社会、政治経済、司法について話をするのだが、なんとも人間社会は馬鹿なことをやっているものだという風刺が込められていて、17世紀のこの時代にすでに整備されたヨーロッパ社会をまじめに、しかし滑稽に語っている。
そして欲のために戦う人の話しは悪という概念を理解出来ないフウイヌム国の馬には理解できないのだ。

この旅行記の中に日本人船長が出てくる。
オランダ人船長は意地が悪く、日本人船長は優しくて、オランダ人船長にかくれてガリバーに食物を与えたりしたと書かれている。
そして途中ただひとつ現実の国に立ち寄るがそれが日本なのである。江戸近辺から日本に入り、主君に願いごとを聞かれ、「踏絵を免除して欲しい」と頼む。
長崎に渡り、踏絵を免除され、自分の国へむけて船に乗り込むのである。
言葉がわからないので、長くはいなかったとある。


阿刀田高氏がこんな解説本を出されている。

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阿刀田氏が面白いと書かれていることは、そうそうとうなずきながら、読んだ。
それでも、これを読む時間があれば、自分「でガリバー旅行記」をもう一度読む方が、数倍楽しい!
ともかく、この物語の面白さをどう伝えたらよいかわからない。
もっともっと語りたいことはあるが、あとは興味ある方に読んでいただくしかない。
by shinn-lily | 2016-07-30 23:08 | | Trackback

人が置いていった本でも読んでみようか?

たまには、自分の選択でない本に触れるのも良いのではないだろうかと思いながら、家人が積み上げたままの本をたぐってみる。
なにしろ本読みにとっては手許に読む本がないことほど、不安定気持ちになることはないのだから。吉本ばなな
三浦しをん
江國香織
吉田修一
角田光代などなど
まだ一冊も読んだことはなく、それでいて一番よく目にする角田光代の文庫本を数冊選んだ。

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ほとんどが短編で厚くもない文庫本に三編くらいおさまっている。
わたしたちが過ごした学生運動が盛んでありながら、まだ精神的に希望があった時代とだいぶ違う。
バブルの頃の華やかな学生時代とだいぶ違う。
どこかあきらめきって、つつましかく、ある時はなげやりにでもなにかを求めて生きている若者たちが登場人物である。
彼らは自分の求めているものが何であるか考えながら内へ、内へと入っていく

角田光代の名前は映画の原作としてしばしばみていたのかもしれない。
そういわれれば「対岸の彼女」は直木賞をもらっていたのだ
それでもこれまで一冊も読んでいなかった。
世の中には本が溢れていて、その本に人生の楽しみの一部を担ってもらっているのに、
案外手にしている本は偏っているものだ。

4冊ばかり読んで、彼女の作品の中に流れている微弱な電流を感じた。
ものすごく大きな感銘をうけるわけでもないのだが、たしかに電流が流れてくる。しかもあくまでも微弱だ。
この電流はそんなに悪い感じのものではない。
リハビリで肩が痛い時にに電気をかけるような心地良さ程度のものだ。

それに対してほとんど同じ年齢の鷺澤萌の作品を読んだ時は後に後遺症が残るような電流だった。
あるいはジャグジーから出てくるすぐに消えてしまう泡ではあるが、ひっきりなしに出てくるような電流だった。

この二人の違いを考えてみた。
鷺澤萌は社会を相手に悶え苦しみ、それを表現している。
角田光代は内にむかう個の想いを描いている。
両方ともなくてはならない。
だか、私にとっては鷺澤萌が自死を持って終結してしまった小説群に心が残る。

次は吉田修一の作品でも手にとってみようか。
by shinn-lily | 2016-05-27 22:19 | | Trackback

ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅

わたしは今65歳である。

50代では考えなかったこと、60歳になっても考えなかったことを最近考えるようになった。わたしの世代では、人生の結果はまだ出ていなくても半世紀にわたる自分が歩いてきた結果はある意味明白に目の前につきつけられるのだ。
あまり過去をふりかえるのが好きではなく、いやこれまでのことが恥ずかしいからあえて過去のことを振る変えることを避け、今を生きようと考えるのかもしれない。
そして、未来のことを、これからどう生きていくかを無意識に考えているというわけだ。
これからなにをしたいということになれば、両手にあまるものやりたいことがある。
そうではなくて、どう生きるかが問題なのだ。

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この本の主人公ハロルドも65歳である。読んでいみたいと思った理由は主人公の年齢が私と同じからだ。
イングランド南西部の町 kingsbridgeに妻と二人で住んでいる。
ある日20年前の同僚クウィニーから「癌で最北東部の Berwick-upon-Tweedのホスピスにいるという手紙を受け取る。
返事を出そうと家を出てポストに向かうその足でクウィニーに直接会って「ありがとう」を言いたくて1000キロ先のBerwick-upon-Tweedに歩き続けることになった。
歩いて会いに行けまたどりつくまで生きて待っていてくれると信じて。
ハロルドには「ありがとう」と言いたい理由があったのだ。それは道中で少しずつ明かされる。

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旅の途中で、妻や息子のことを考える。
旅で出あう人々とのやりとりを考える。
時には旅に参加する人や犬がいて、マスコミにも取り上げられる。
作者は旅の中でハロルドの人生を語ってゆく。

ちょっとだけ掛け違ったボタンが、大きな亀裂となって、ハロルドの人生を考えていたものと違うものにしてしまった。
そして家に残った妻もちょっとだけアイロンの線がずれてしまって、、寂しい人生になってしまったことを考えるようになった。
そして、離ればなれに時を過ごすことによって擦れ違いは誰のせいでもなく、自分の責任だと考えるようになる。ハロルドと妻は次第に透明になっていくように感じた。
これまでのこびりついた垢のようなかたくなな気持ちがはがれおち、透明な無垢な人間にもどっていくのだ。
だからこそ、この旅はその道行過程こそが意味あるものとする巡礼なのだ。

ホスピスについてからのことをここに書くのは控えよう。それはさして重要ではない。
読者として巡礼の旅に寄り添って、、今自分の人生の垢がなんであるのか、そして透明な人間になれるのかを考えることのほうが重要な課題であるような気がするからだ。


ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅
レイチェル・ジョイス著 亀井よし子翻訳
講談社
by shinn-lily | 2016-04-12 21:26 | | Trackback

普通に生きるということ

鷺沢萌の作品を「ケナリも花、サクラも花」「私の話」に続いて3冊読んだ。

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「帰れぬ人びと」文春文庫
「駆ける少年」文春文庫
「君はこの国を好きか」新潮文庫

19歳で文学界新人賞をもらった「帰れぬ人びと」の中に掲載されている「川べりの道」は高校3年生少女がこんな風に世の中を見ることができるのだろうかという驚きをもって読んだ。
右往左往して、表面だけを見て暮らしていた自分の学生時代を思い出すのも恥ずかしい。

鷺澤の作品に大きな影響を与えた出来事は、2つあると読み取れる。
まず父親の会社の倒産だ。
コウキ出版という教育関係の教材を出版している会社が、学習塾の分野に手を広げようとして人にだまされてつまずいた。その結果田園調布の豪邸を夜逃げのようにして出なければならなかった。高校入学前である。
そしてもうひとつは、作家になって小説のために父のことを調べているうちに、自分の中に1/4の日本以外の血が混ざっていることを初めて知ることになったことだ。
若い時から普通でない人に注いでいた視点はここから生まれ、さらに大きく広がった。

普通に暮らしているように見える人が多い世の中で、普通ではない漬物石のような大きな石をかかえて生きている人間がいる。なるべくめだたないように片隅で生きようとしている人がいる。鷺沢の作品には必ずそういう人物が登場する。
それは鷺沢の中にある自分をきり刻んでひとりひとりに投影しているようにも見える。

「普通」ってなんだろうと、私はふたたび自問する。
鷺澤の作品を読み終えると、ふと無意識に自分の生き方を考えていることに気づく。
「普通」なんてある日突然壊れてしまうようなもろいものである。
「普通」が壊れてしまった後にいろいろな形で生きていく人々をたくさん書き残した。
それなのに鷺沢は結局自分の人生を作品の中に残すと、生きることを拒否して、命をたつ。
普通でないことに耐えきれなくなったのだろうか?
私にとって大きな余韻の残る作品群であった。
by shinn-lily | 2016-04-06 00:04 | | Trackback

鷺沢 萠著 「ケナリも花、サクラも花」

ケナリも花 サクラも花
という書名にふと魅かれるものがあって読み始めた。

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「ケナリ」を調べた。日本語のレンギョウの韓国名であった。
レンギウは枝を土に挿しておくだけで根付くほどの強い花であり、群なして咲く姿は春を讃歌するような明るさがある。
この著書の中でケナリは韓国の象徴である。

著者鷺沢萌(さぎさわめぐみ)は自分の1/4が韓国の血であることを、20歳になって知る。
19歳で文学界新人賞を得た後のことである。
父方の祖母は自分が韓国人であることを隠して、著者の父親を育てたのだ。


著者の中でその1/4の血はその後の人生を大きく動かしてゆく。
その様子は
「私の話」に書かれていることをみればよくわかる。

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鷺沢はハングルを学ぶために延世大学に短期留学をし、その時の滞在をもとに書かれたのがこのエッセイ集「ケナリも花、サクラも花」なのである。
日本にいても、「ここは私の国ではない」と感じ
韓国にいても「ここは私の国ではない」と感じる。
そう感じていても、韓国に来て「そうだったのか」とわかることがある。
ずーっと理解できなかった父親の考え方、行動が初めて理解できたのである。
2つの国の狭間で揺れ動く鷺澤の感性はあまりにもするどく、そのことが彼女を追いこんでゆく。

現地で雑誌のために受けたインタビュー記事に添えられた鷺澤の写真は当日、ケナリの花の前で撮ったものだ。
送られてき雑誌を見てケナリの後ろに桜が写っていたことを知った。
鷺澤は女性編集者の気持ちを深く感じることになる。

留学したのは24歳、そして鷺澤は35歳の若さで自ら死を選んだ。生きていれば今48歳、
私はその短い生き様をもっと知りたいのと同時に、細いロープの上を自分でゆすりながら歩くようなその繊細な感性にもう少し触れていたかったと感じた。

近所のレンギョウも川べりの桜もだいぶ色づいてきた。


「ケナリも花、サクラも花 」新潮文庫
「私の話」河出文庫
by shinn-lily | 2016-03-22 21:46 | | Trackback