カテゴリ:思い出( 8 )

思い出のパンの味を求めて「業務スーパー」へ

パリのほんのひと時の自由時間
友人と公園で、
慣れない海外でレストランに入ることもできず、デリカッセンで買ってきたおかずと一緒にバケットをちぎって食べました。そのパンの美味しかったこと、。これまで食べたバケットで一番で、ああ、これがフランスの味と感激したのは、もう40年も前のことです。

そういえば、その前に青山にドンクが出来で、父の友人がバケットを5本もかかえて我が家に届けてくれたことがありました。
あれが私の人生の初バケットです。まだまだ海外旅行と言わずに、外国旅行と言った時代です。

娘とトルコ旅行中、
朝食ビュッフェのパンをちょっと失礼して余分にいただき、ツアーのバスの中でお腹が空くと袋から出してごそごそと・・・トルコは国土が広くて、走れども走れども昼食予定の街に着かないのですもの、その日によってランチの時間がぐーっとのびることがあり、こんな知恵も生まれるのです。
お腹が空いていたこともあるのですが、小麦粉自体の味がこれほどに風味があるのかと、いまだにあの味を忘れることが出来ません。

そういえば、母もエジプトで食べたパンの味が小麦の味わいが何とも言えず、海外の旅の中で一番美味しいかったと言っていました。


一時、パン焼き器で手作りパンを作っていましたが、あまりよく作ったので、使い倒してしまいました。
その頃幸い、我が町には「ユキ」という美味しいパンやさんが出来て、かなり上質のそれでいてリーズナブルな焼き立ての温かいパンが手に入るようになりました。
ほんのり甘味があってきめの細かい飽きのこないパンは、常時冷凍庫に何種類も入っています。

さて、そんなある日エキサイトのこの方のブログで、このパンを知りました。
ポーランド製の冷凍パンです。

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ポーランドと言えば農業国です。そしてパンに対しても伝統があります。わたしの期待は膨らみます。
農業国の小麦の味がするパンを探していたからです。
とうとう業務スーパーに行って、買ってきました。

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しかも、とびきり安いのです。15個も入っていて328円です。
高くて美味しいのはあたりまえ。
業務スーパーは電気も暗いし、箱のままの陳列、・・・でもそこからのお宝さがしが面白いのです。
「スー子」さんのブログはそのあたりしっかりとレポートをしてくれているので、またまた興味がふくらみます。

さて、パンのお味は、期待の70%の満足度です。
なかなか素朴でいて、生地に小麦の風味がしっかりとあります。
30%の不足分は、「解放感不足」とでもいったらよいでしょうか、わがままな要求です。
海外での食事は、その国の空気感と旅という解放感がまざって、いっそう美味しく感じられるものだと思ってます。
業務スーパー、あなどれません!
by shinn-lily | 2016-10-11 23:49 | 思い出 | Trackback

「あたたかさ」と「厳しさ」そして「希望」を!


まだ30代の頃、永六輔さんの講演を50名ほどの少人数で聴くことがあった。
その後もいろいろな方の講演を聞いているが、この講演が一番強烈な印象が残っている。

まず集まった人から10名をえらんで、椅子を輪に並べさせた。
一人目の人が名前をいう。
「田中です」
二人目の人が続ける。
「田中さんです。私は佐藤です」
三人目の人は
「田中さんと佐藤さんです。私は鈴木です」
というような具合で10名が全員名前を覚えさせられる。
自分の番が済んだ人も一生懸命覚える。
10名の名前を言わされるからである。
気が付けば、選ばれなかった他の人も必死し覚えていた。
演劇のスタッフの最初の顔合わせの時にこういうことをやって名前を覚えるのだという。
記憶力の悪い私はその10人に選ばれなかった安堵感で、その後の講演の内容は覚えていない。
しかしテレビで見る永六輔さんの柔和な感じや歌詞に表現され温かい感じと違って、とても厳しい人だと印象に残っている。

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TBSラジオの「どこかで誰かと」の放送からは人や物事を見る自分の視野の狭さを知った。。
そういえば、大学時代、友人が永六輔さんに手紙を書くと必ず返事をくれると言ってもらった葉書を大切にしていた。

上を向いて歩こう
見上げてごらん夜の星を
夢で逢いましょう
ともだち
こんにちは赤ちゃん
いつもの小道で
黄昏のビギン
そして
遠くに行きたい

曲名を聞いただけで懐かしさがこみあげてくる。
永六輔さんは本当に遠くに旅立ってしまったけれど、
その唄を歌う誰にでも「暖かさ」と「希望」を永遠に与え続けてくれる。

合掌
by shinn-lily | 2016-07-17 00:46 | 思い出 | Trackback

ありがとう さようなら


同級生がまたひとり天国に旅立った。
病とはいえ、かなり急だったので、その死は私たち仲間に動揺を与えた。
彼女とは、中学の3年間同じクラスだったが、特に親しかったこともないし、その後合同クラス会で話すことはあっても、とくにつきあいがあったわけではなかった。
目鼻立ちが整いエキゾチックな美人、スポーツ万能で、活発な彼女は学園内では有名な存在でもあり、運動が苦手な私にとって憧れの存在でもあった。

思い出がある。
中学1年の頃、彼女も私もテニス部に属していた。当時皇太子と美智子さまのご成婚のきっかけとなったテニスがブームだった。
彼女はどんどん腕をあげ、わたしはラケットにボールを充てるのがやっとの程度であった。
ある日、どんな話のきっかけであったか、授業の始まる前に一緒に練習をしようということになって、朝早くネットを張って、コートに立った。
一緒にやると言っても、ほとんど私が打ち返すことが出来るように球を返してくれて、教えてくれたというほうが正しい。
本当に楽しかった。
へたくそな私に付き合ってくれたことが嬉しく、テニスの楽しさもその時知った。
おそらく、彼女はその日のことは覚えていないだろう。


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人は生きている間にたくさんの人とかかわってゆく。しかしその多くはほんの通りがかりの出会いだ。
そして記憶はいずれ消えてゆく。
彼女とはずーっと疎遠であったとはいえ、ひとつの温かい思い出が残った。
だからここに、感謝の一文を残しておきたい。
「ありがとう」とつぶやきながら、
彼女の大きな瞳と美しい顔を思いだしながら。

合掌
by shinn-lily | 2016-06-01 21:42 | 思い出 | Trackback

たぶん50年以上前のコート


美容院の担当技術者がコートを褒めてくれました。
お洒落な若い男性なので、ちょっと嬉しかったのです。
もともとこのコートは両親のお仲人さんの奥様のコートでした。
家にいらしたおば様が、母のグレーのコートを見て、お互いに相手のコートが気に入り交換したという、いわくつきのものです。
子供の頃、母が気に入ってよく着ていたのを覚えています。

さて、ふと思い出して、そのコートを出してもらいました。
今年は襟のないコートが雑誌やデパートに出ていましたし、ウールのコートも復活していましたので、気になっていたのです。
ボタンの位置だけ変えましたが、あとはぴったりです。

ブルーのタートルのセーターにあわせてみました。

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とも布でできているマフラーをこんな風に結んでもよいと思います。

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とてもおしゃれなおば様でした。
品がよくて美しくて、背がすらっとしていて、憧れの方でした。
いろいろと洋服が売っている時代ではありませから、おそらくオーダーしたものでしょう。

母は私が着たのをみて、
「あら私にもまだ着れそうじゃない」
と言い出しましたので
「もうお返ししませんからね」
ときっぱりと断りました。

母が着ていたものが復活出来たのも楽しいのですが
そのおばさまの思い出も一緒に着込めば、気持ちも温かくなります。


計算してみたら、50年以上前のものということになります。
by shinn-lily | 2015-01-22 22:56 | 思い出 | Trackback

ネクタイピンとカフスボタン

純度は高くないけれど、ゴールドにメレサファイヤを散らしたネクタイピンとカフスのセットを友人のジェリーデザイナーに相談してバチカンをつけてもらいました。
父がそばにいるみたいで、なんとも嬉しい3つのペンダントトップが出来上がりました。
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母と妹とわたし、・・・誰がどれをとるか
他のネクタイピンについていたダイヤをちゃっかりわたしの指輪に使わせてもらったので
わたしに選択権はないと、覚悟をしていますが・・・・。
by shinn-lily | 2013-04-30 22:22 | 思い出 | Trackback

責任をとる

学生の頃アルバイトは家庭教師、・・・わりのいいアルバイトだった。

父は家庭教師をする時は優秀な生徒を選べと言った。
そんなこと言っても、選ぶほど家庭教師の口なんて私にあるわけがない、大喜びでひきうけた。
この生徒、他の成績はとてもよいのに、国語だけが成績が悪いというので、国語を教えればよい。
だいたい国語なんて勉強をしなくても点がとれる一番楽な科目だと思っていたが、人それぞれ、数学の苦手な私はその生徒の数学の成績がいつも5であるのが脅威でもあった。

さて、なにをやったかというと、教科書を一緒に読みながら、「それはなにを指すか」「これはなにを指すか」
を徹底的に読み下していった。
それだけでわが生徒の成績は2.5から4にすぐにあがってしまった。
父の教えは正しかった。生徒が優秀だったのだ。
ともかく、いただいた料金分の責任はとれたと思っている。

ここで貯まったお金を母が株で増やしてくれた。
そのお金とそれまでの貯金とカンパで2度目のヨーロッパ旅行に行った。
南イタリアからイギリスまでのバスの旅、風景と空気と家と人と言葉が国ごとに変わっていくのが楽しかった。
もちろんユーロなんてないから、持っていったドル確か固定相場で1ドル360円、それを国ごとに少しづつ、リラやらフランやらマルクやらポンドに変えながら旅した。

旅で大きな買い物をした!
by shinn-lily | 2010-04-08 23:23 | 思い出 | Trackback | Comments(24)

おばあちゃんからの贈り物

そのことがあって以来すっかり忘れていて、今日突然思い出しました。
人間の記憶ってどうなっているのか・・・それはもう10年近く前のことです。
父は亡くなるまで2年近く入院していて、私はほぼ毎日病院に通っていました。
まだ、自分で食べられるうちは夕食時を一緒にすごすことが多く、食堂で他の方も一緒のひと時でした。
そこで、よくお隣になるのは90才過ぎの小さな可愛らしいおばあちゃんで、毎日いらっしゃる娘さんのこともわからない認知症でした。そのおばあちゃんが、どういうわけか私の顔を見るとニコニコ嬉しそうにしてくださるので、私もお会いするたびに、ご挨拶をしていました。娘さんが
「ほーら、○○さんがみえたわよ、おかあさん。」
「こんばんわ、たくさん召し上がりましたか?」
うんうん、とニコニコうなずいてくれます。
ある日私に手をだしなさいと促します。
いわれるままに手をだすと、なにか大切に握っているものを、わたしの手のひらに乗せました。
そして、ちょっと楽しげに、
「あなたに、大事なものをあげたのよ、ほーら、素敵でしょう。さぁ、遠慮しないで・・・」という感じでちょっと自慢げ。
でも、私の手のひらにはなにもありませんでした。
とっさに私は
「どうもありがとうございます。これを頂いていいのですか?」
とお聞きしました。
うん、うん、と深くうなずかれました。
私は付き添っていらした私よりずっと上の娘さんと目でうなずきあいました。

今日、久しぶりに庭にビオラを植えました。
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おとなりのゼラニウムは一年中咲いてくれて、けなげです。
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さざんかも密やかに咲いていました。
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金柑も光を浴びて色づいてきました。
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あのおばあちゃんは私にいったいなにをくれたのでしょう?
勇気かな?優しさかな?大きな暖かいもの、たしかにたしかにいただいたのです。
「天国でお元気にしていらっしゃいますか?」
お会いしたいなぁ、もう一度!
by shinn-lily | 2010-01-10 23:06 | 思い出 | Trackback | Comments(18)

おめでとう

元気良く歩く三人のお嬢さま、
慣れない着物なのに、この堂々とした姿、頼もしい!
今日のこの姿勢で逞しく人生を送ってほしい。
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やっぱり神様にお願いしましょう。おみくじはなんとでましたか?
成人式にこんな素敵な着物を着せてもらったのだから神様にもご報告ですね。
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成人式のあと別れがたく立ち話もおわりません。
今のお友達、ずーっとすーっと大切にね。
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私の成人式、覚えていません。着物も着ませんでした。もちろん式にも参加しなかったから
なんにもなかったということ。
なにか行政の主催する式には出たくなかったという思いがありました。
地元に友人がいなかったこともあるけれど、学生闘争の盛んな頃でしたから。
毎週末におこなわれていた新宿西口の反戦コンサートの方が現実的でした。

これからどう生きていくかなんて二十歳やそこいらではわからない、ただ自分の信じるところを真摯な気持ちで取り組くみ、
どうか、小さな殻に閉じこまらないで、広い視野で物を見、人を見てください。
偉そうにこういう私、もう成人の三倍近くも生きているってことで、許してね。

皆様のかつての成人の日、どうすごされたのでしょうか?
by shinn-lily | 2009-01-12 10:26 | 思い出 | Trackback | Comments(20)