橋本治という行き方


「本」というものは、「他人の世界観を目の前にして、それを理解するために自身の世界観を修正する」というような、とんでもなくめんどくさいものである。「学ぼう」という意思、「自分はこれを学ばなければならない」と思う謙虚さがなければ「本を読む」ということは可能にならない。「本を読む」にはそういう厄介さが中心にある。

又、
「本なんか読まなくて大丈夫」と思う人達は、自分の中の「出来上がってしまった世界観」だけで、なんとかやっていける人達なのだ。そして現代ではそこから問題が生まれる。なにしろ、イラク戦争は、「異質な世界観のぶつかり合い」でしかないからだ。
 私は現在の問題の多くが、「異質な他人に対する想像力の欠如」を原因にしているとしか思えない。そういう意味で、「他人というテクストを読む」が出来にくくなっているのだがそれはつまり、「本をちゃんと読めない」と同じなのだ。だからこそ、「本は要る」のだ。

橋本治という行き方 橋本治 朝日新聞社寄り「本というもの」より

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なにしろこの本は難しい。2001年から2005年までに書かれた約40の文章が納められている。一編はエッセーの長さだが、個人的にはエッセーというくくり方をしたくない。教養について、批評についてに多くさかれている。
ふんふんふんと読んでいくと・・・もちろんすぐに理解できるわけではないのだが・・・最後の一言でガンーンとやられる。
つまり最後の瞬間に私の理解能力を超えてしまうのだ。
ならば読まなければよいのに、やめられない。

引用した文章「本というものは」は私にとって身近な題材だ。
何度か読み返してみた。
「本」というものは「異質な世界観と出喰わす衝撃」でもある。
とも書かれている。
私が本を読むのが好きなのはまさしくこの「異質な世界観と出喰わす衝撃」を求めているからだ。
しかし、こうも書かれている。
本を読むことがもっぱらに「楽しみ」である人達は、読むことが苦にならないものばかり読む。
とも書かれている。

いえいえ、橋本治様
引き続きご著書「橋本治という考え方」朝日新聞社刊を読んでいます。
これがまたまた難解なのですが目が離せないのです。
by shinn-lily | 2017-04-02 15:15 | | Trackback
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