金だらいを買った彼女 

彼女は娘の小学生の同級生である。
最後に会ったのは娘が小学校5年生の時南ドイツへ移住することになって、クラスメートとその親が集まってお別れバーベキューパーティーだった。
22年ぶりに現れた33歳の娘の友人の彼女を見た時に、不覚にもが涙が出てしまった。
すらーっと伸びた肢体に長い手足、愛くるしさは子供の頃と変わらないのに、なにか計り知れない大きな力を持っているように感じた。
本当はこの場所で親同志、2年ぶりの再会をするはずだった。
お母様が今年の1月に急逝なさって、お母様のお仕事の関係者や知り合いにご挨拶するため、そしてもろもろの事務処理のための帰国となった。

毎年遺言が書き換えてあって、連絡すべき人、やるべきことがきちんと残されていて、なによりも有難かったと。
わたしたちの名前も書いておいてくれたのだろうか?
忙しい合間、会いたいと連絡をくれて、3人の親が集まった。
娘は彼女と数日前に二人だけで会っている。
どんな話しをしたのだろう。






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           懐かしい風情をそのまま残してある手打ち蕎麦「経堂}内

さあ、あなたが食べたいといっていた懐かしいおそば屋さん、
好きなものをたくさん召し上がれ。
お母さまが座るはずだったテーブルで
なめこそば、おろしそば、冷奴、板わさ、蕎麦掻、天ぷらを食べる姿を見入った。
これから異国の地でひとりで生きていくことへ気負いはない
余分は話しをしないが、聞かれたことにかっこつけはしない
すなおに、淡々と言葉がかえってくる。
心の芯に強いものを持っている

「金物屋さんがあったので見ていきます。金物屋さんが好きなんです。先に行っていてください。」
喫茶店でしばらく待っていると彼女は大きな金だらいを持って現れた。
スーツケースに入れて持ってかえると言う。
おまけに、金だらいに自分が入って満面の笑み
天真爛漫な性格は昔のままだ。
「前にスーツケースに物が入らないでうんうん言っている夢をみたことがあるなぁ」
とのんきにぼそっとつぶやいてた。
そういえば、みんなの入学式の日H先生が読んでくれた絵本は「洗濯かあさん」だった。
金だらいは「せんたく母さん」を読んでくれた天国のH先生を思い出させ、その場のみんなを一気にあの入学式の日の教室へ運んだ。

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あなたはどやってこんなに素敵な娘さんに育てたのでしょう。
こう聞いたらあなたのことだから、
「ありがとう、でもほーっておいて好きなことやらせたただけ。」
と答えるに決まっている。
でもほーっておくことってかなり難しい。
ついつい心配したり、口出したり、ああしろこうしろと言ってしまう。
「母はいつもわたしをひとりの人間として接してくれました」と親子の深い信頼感が今も彼女の心の中にしっかりと存在している。



「私の想い、お母様に伝えてね」
「もう伝わっていると思います。でもいつかお墓詣りにきてくださいね。」


あなたの娘さんはたいしたものです。
爽やか風をわたしたちに一吹き、元気の種をばらまいて帰りました。
南ドイツの住まいの近くの山に眠っているあなたに、いつかきっと会いにいきます。

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                お仕事仲間が作られた遺稿誌から



ねえ、Kちゃん、ところであの金だらい、いったい何に使うの?




追記:1月に急逝された時の記事にうまくつながりませんので、「more」に再記載させていただきました。






20年以上前にある人にいただいた「世界文化史年表」という年表を取り出してみました。
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国ごと、あるいはエリアごとに習っていた世界史の年代が、ここで初めてつながる興味深いい年表です。
例えば、
日本の室町時代中期は、
韓国は李氏朝鮮、
中国は明、
イラク・イスラエル・エジプト・トルコ・ギリシャなどの国々はオスマン・トルコ帝国、
イタリアではルネッサンス美術期、
オーストリア・ハンガリー・ドイツなどは神聖ローマ帝国でゴシック美術とバロック美術の挟間、
もちろんアメリカ合衆国は存在しません。
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・・・おおまかですが、こんな全体感のある歴史感覚を持つことができます。

正確にいうと、この年表をいただいたのは当時小学校4年生の娘、くださったのはは娘の仲良しの同級生Kちゃんのお母様です。
小学生にこの本をプレゼントする感性に驚きました。
以来、わたしは娘の本棚からよくこの年表を取り出してはみていました。

先週、娘がKちゃんからのメールを転送してきました。
Kちゃんは小学校を卒業せずに、シュタイナーの教育を受けるためにお母様とドイツに渡り、それ以来ドイツ在住です。娘は大学の頃、遊びにいってKちゃんにもお母様にも、お世話になっています。

「母上(私のこと)に知らせてください。悲しいお願いでごめんなさい。母がベッドの中で冷たくなっていました。優しい顔でした・・・・」


転校してからKちゃんとは一度も会っていません。
お母さまとも一昨年、久しぶりの再会し、その1度だけでした。
それなのに、年に2、3度ほどのメールのやりとりでずーっと繋がっていました。
建築や世界文化情勢に詳しく、舞台の演出もなさり、文筆家でもあり、新聞でも記事をお見かけしたこともありました。
娘たちの小学校のクラスのもめごとが学校との問題まで波及した時、クラスの父母の意見をまとめて学校に提出して、問題を収拾してくださったのもこの方でした。
いつも穏やかでほほ笑みを絶やさず、それでいて軸がぶれない、おかっぱの髪が良く似合う可憐なお母様であり、私たちのお姉さん的存在の女性でした。

今年も新年過ぎにご挨拶のメールをいただきました。
ふだんならすぐにでもお返事を送信するのに、今回に限って少し遅れてしまいました。送信記録には某日午後2時頃とあります。
亡くなったのはその某日の朝ということでした。時差を考えてもよほど夜更かしをしていなかぎり、わたしのメールは開封されていないのです。
「今年は日本に帰ることができそうなので、またこの間のところで皆さんに会うのを楽しみにしています。」・・・(返信)「嬉しいです、みんながキリンにならないうちに、きてくださいね。」と書いたのです。
まだまだこれからおつきあいが続くはずでした。

今、私はKちゃんのお母様の存在がどんなに大きかったことに気付いています。
娘も同じことを言っていました。
ほとんどお会いできなかったのに、その生活ぶりを垣間見させていただいたことが、どんなに大きな意味があったか・・・。
思い切ってドイツに渡る英断、知的魅力、やさしくどっしりとしたお人柄、
知らず知らずのうちに人生の師となっていたことに、今、深く感じています。
「ドイツに来てね」といつも誘ってくださっていたのに
ヨーロッパ旅行にも誘ってくださっていたのに、
いつか、いつかと言いながら、いつかが突然途切れてしまいました。

Kちゃんは2年前にお父さまを亡くし、しかも一人娘です。
ひとり残されて、不憫でしかたがないけれど
でもKちゃんのメールの文は、Kちゃんがお母様のように、いやお母様を超えて素晴らしい女性に育っていることが伝わってくる内容でした。
しっかりとしていて、明るく、少々破天荒なところが魅力の優しいお嬢さんです。
どうかKちゃんを大切に思っている友達と友達の母親がいることを、覚えておいてくださいね。
なにか力になれることがあれば、お母様に恩返しができるのですが・・・・。

Kちゃんのお母様へ
今は気持ちの整理がつきません。
お願いです・・・もう少し・・・しばらくの間・・・いえ、今までのようにずーっと、貴女と語らせてください。

合掌
by shinn-lily | 2014-04-13 02:42 | 大切な時 | Trackback
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