大きな桃の木のあった家(うち)
2014年 01月 13日
夏になると階下の部屋には陽があたらないほどの大きな桃の木であった。
庭に面した八畳の部屋は縁側から上がれるようになっていた。
この家に政治家で地元の選挙区と半々に暮らしているおじさんとおおらかなおばさん、
たくましい4人の子供たちが住んでいた。
そして場所柄早稲田の学生4人が下宿をしていた。
政権野党ゆえ、副業で生活をささえていた。
8畳の部屋は陽だまりに人が集まるように、下宿人から子供たちや近所の人たちでいつも賑やかだった。
私はよくこの八畳間でここの姉妹や学生さんに遊んでもらった。
おとなは政治談議、世間の話などの場でもあった。
母親同士も仲がよかった。
あの頃、みんな貧乏だった。
お金の貸し借りも、結婚式出席のための着物の貸し借りも、ご近所同士のお付き合いの中で特別のものではなかったようだ。
3時頃になってもなにおやつのようなものはない。
はおばさんからの号令を相図に子供たちは器用に桃の木に登り、数個の桃をとってくる。
焼け野原となった肥沃な土地なので数えきれない程の桃がなっていた。
たいていの場合、熟すのを待ちきれず、まだ固い桃であることが多かったが、家族の少ない私は、そこにいる人たちみんなで分けて食べる桃の一切れが無性に嬉しかったことを覚えている。
貧しかったけれど、みんなが未来を信じて暮らしていた頃だった。
後におじさんは衆議院議員となり、父の会社は高度成長期にあわせすこしずつ大きくなっていった。
おばさんは母よりいくつか年上である。90歳を過ぎているはずだ。
「そこまで行くのなら、AAさんが元気であるかどうか様子をみてきて欲しい、玄関先でいいのだから」というのが、母からの頼まれごとであった。
まだ松も開けていないけれど・・・
「大丈夫あの家なら突然行っても、大丈夫だから」と母が言う。
桃の木はなかった。
家は土地いっぱいにすっかり立派に建てなおしてあった。
「あの、突然で申し訳ないのですが・・・」
インターホン越しに私の顔が見えたのだろうか?
「すぐ、いきますから」
「おかあさん、おかあさん、ssさんちのshinn-liliyちゃんよ。
上がって、上がって、美味しいコーヒーを淹れるから、さあ、こっちこっち」
30年ぶりの再会であった。